家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

枯葉集め

2014-12-04 07:44:44 | Weblog
この時期春野は枯葉が、あたり一面を埋め尽くす。

ホウキやブロワーで集めて袋に収める。

昼食をとっている間に強い風が吹くと元の木阿弥。

毎年やっていることだが今年は袋を大きくしてみた。

今までは大きめのゴミ袋だったが今回は150リットルの物だ。

さすがに150リットルというのは、とてつもない量だ。

この枯葉を近所のNさんにあげる。

Nさんは畑に蒔くという。

例年はNさんが乗用車で通りかかる時に積んでいくのだが今年は、そうはいかない。

乗用車に乗らないほど大きい袋なのだ。

だから農業用二輪車に乗せて家まで運び届けた。

2袋ともなると結構な重さだ。

上り坂は手で荷物を押さえることができるから、まだましだ。

下り坂になると、ドンドン下って行きたい二輪車を右手片方だけで制御し荷物の落下を左手で押さえる。

腰が引けて靴の摩擦力だけが体と心の支えだ。

空になった二輪車は軽くて抑えが効き快適だ。

私の足の前輪駆動でスイスイと帰ることができる。

Y爺さんにもあげるのだが彼は軽トラックなので問題なく持っていく。

彼はコンニャク畑に蒔いて地面の凍るのを防止するらしい。

今まで散ったのはケヤキ、ヤマボウシとハナミズキそれから柿その他の草花だ。

まだモミジは残っているし、それが終わると、いよいよ一番量の多いコナラになる。

空からハラハラハラハラ色づいた葉が落ちる様は、あわれを感じるが、その後の処理には疲れ果てる。

溝に溜まった枯葉をすくい出して捨てるだけで筋肉痛になる。

紅葉のきれいな部分を見て楽しむだけでなく地に落ちて木々のための次の役割を担う枯葉を処理するのも、これまた楽しいものだ......と言っておこう。

私は今人生の紅葉を終えるところか。

あるいは既に散って木々のために役立っているのか。

これから紅葉ということはない。

散っても役に立っていないということも十分に考えられる。