家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

昨年末から仕事始めまで

2015-01-07 07:47:47 | Weblog
昨年末は恥ずかしながら細菌に負けてしまった。

「免疫力が強ければ何にも負けない」と常々言っていた言葉をそのまま自分に言って聞かせることになった。

情けないことに細菌という小さなものが体に入り込むや、急激に私の体は衰弱していった。

だが味噌汁のTVコマーシャルを見て「美味しそうだな」と感じるようになった時には既に回復の道をかなり進んでいたことを実感した。

元気になった頃に友人から呑み会の話が来た。

山海の珍味を食べながら美味しい酒を飲むという、またとない良縁だ。

だがしかし私の体には抗生物質というアルコールを控えるべき物質が蔓延していたのだ。

微小のものに翻弄された自分が、美味しい申し出を自分で断るという罰を受けた。

年が本当に押し迫った頃に行われる餅つき会には参加した。

今回は何臼も搗いた。

初めから、そうしようと考えていた。

筋肉痛で「明日は起きられない」と感じて、そう言いながら杵を上下した。

だが翌日も、3日後も、その後もまるで筋肉痛はなかった。

「頑張ってよかったな」と感じている。

一緒に餅つきを楽しむ仲間に医師がいる。

繊細な手術を含む科なので杵を思い切り振ることはしないが、自分の持ち場を決め淡々と毎年こなしている。

それも人が嫌がる冷たい水に触る担当だ。

こういう人が「大成する人なのだな」と、つくづく痛感する。

また彼の奥様も同様にするから「大成する人の傍らには、必ずこういう人がいるのだな」とも感じる。

さて年が開けて実家に挨拶に出かけた。

母のいない正月を初めて経験する私には間が抜けた感じがする。

楽しいが寂しくてしかたがない。

母の代わりに登場したのは子猫だ。

猫がいると、場がそれだけで明るくなり話題に事欠かなくなる。

全てが必然ならば、こういう流れも決まっていたのだなぁと納得した。

帰省した長男とは実質3日間過ごした。

元日の内には我が家に戻っていたらしいが熟睡中で気付かなかった。

彼とは墓参りをした以外は家の中にいた。

外食の多い生活の彼に妻が手料理を食べさせたいと思ったからだ。

彼の活躍をTVで見たり彼の推奨する本を図書館に予約したり話題は尽きない。

だが仕事の電話は彼に休息を与えることをしない。

いつ、どこにいても繋がっている社会に逃げ道はない。

FAXも電話すらなかった時代のことが嘘のようだ。

世間は仕事始めになり全てが元に戻っていった。