家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

いわゆる断捨離

2017-06-12 10:10:57 | Weblog
いわゆる断捨離のうち、舎と、そして舎に近いことをしている。

つまり本来の捨てることと、それ以外に売ることもするということだ。

我が家のひと部屋は、ほぼ完全に物で溢れていて本来の目的を果たせないでいる。

まずは本や雑誌を処分することにした。

近所のブックオフに持ち込む。

春野で薪入れとして使用していたミカン収穫コンテナを持ってきた。

ダンボールでは底が抜けそうだしコンテナなら二人で持てるし。

妻に手伝ってもらって駐車場に到着するとブックオフ備え付けの台車に移しガラガラと店内に持っていった。

「少しお時間頂きます」と言われて店内を見て時間を過ごす。

「おっ、これ読みたいな」と思う本を発見した。

だが今日は売りに来ているのだから、と自分自身に諦めさせる。

店内放送が入り受付カウンターに行く。

買取してくれる物と処分される物があり持ち帰りを希望しなければ処分してくれる。

本人確認をして現金を受け取り気持ちを軽くして家路についた。

本はその後も3回にわたり持ち込んだ。

次はパソコン、電子辞書、ディスプレイ、カーナビなどを持ち込んだ。

パソコンは個人情報の漏洩を心配したが「信用して頂ければ」という言葉を信用して持っていった。

小型家電は役所に置いてあるポストに、その都度持ち込む。

TV台はブックオフでも、その近くの古道具屋でも引取りを拒否されたので分解して木の部分は燃えるゴミにガラスの部分は残してある。

だいぶ部屋は物が減ってきた。

しかしごった返していることには変わりなくしばらくは片付かないと諦めている。

極力物を増やさないようにしているが自分好みの物は甘い判断になる。

「もったいない」の心は、いまだ健在だ。

世の中の変化で必要になったり不必要になったりする物。

修理ができなくて買い換えしなくてはいけない物。

今後も物は増えたり減ったりを繰り返すことになろう。

断捨離を徹底的にやることはできないということを痛感した。