このところ暖かな日が続くので散歩も楽になった。
上着を一枚脱ぎ手袋を外していける。
小学校の登下校時間をさけて歩けば老人か犬の散歩くらいしか目につかない。
ほぼ川沿いしか歩かないので交差点は橋のたもとだけだ。
渡る時には右見て左見ての際、指さし確認をしている。
走ってくる車や自転車が怖いわけではなく自分の注意力の衰えが怖いのだ。
止まってくれた車に頭を下げたり手を上げたりして速やかに渡るのだが、その状況を読めない老婦人がいた。
私は車に手で「ちょっと止まっていてね。年寄りが通るから」と合図して、おばあちゃんに「いいよ。渡って」と言って渡ってもらう。
そんなことが二度ほど続いた。
同じ交差点を私一人で歩いていた。
右側には橋の手前に老人が一人自転車に乗っていた。
左からは何も走ってこない。
私は、いつもの速度で横断し、そのまま川沿いの歩道を歩いていた。
先ほど見つけた自転車の老人が私を追い越しざまに指さし確認動作をして通り過ぎて行った。
その老人は、ほどなくして自分のアパートに到着したようで自転車を降り敷地の中に入っていった。
その時、また指さし確認をした。
自転車を保管する場所や軒下などに3か所ほど。
次に振り向いてまた3か所。
その際には2回目の指さしに私が含まれていた。
「ええ?おれ?」と思ったが私に用があるわけでもなく、ましてや私を確認したかったわけでもないようだった。
その老人の指さしは、しっかり立ち、腕をしっかり伸ばすものだった。
ははあ。これを教えたかったのか、と想像した。
私の指さしは指こそは目的地方面を指しているが腕を伸ばすほどの、しっかりしたものではない。
目視の確実性を増すものだけであって、その確認で他の人に迷惑や危険が及ぶものでもないし。
その老人の腕を伸ばした指さし確認は、はたから見ても気持ちの良いものであったことは認める。
だが今後も自分流指さし確認方法を続けるつもりだ。
あの老人が見ていたら、たぶん私の中途半端な行動が見過ごせなくて私の所に走り寄って腕を伸ばした指さし確認をするかもしれない。