家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

時の経過

2023-09-19 14:44:15 | Weblog

「ハイカードローン」お取引期限到来のお知らせ というハガキが届いた。

あと一年で、この取引ができなくなるという知らせだ。

いまだかつて使ったことのないローンだが、それを銀行から知らせてくることが自分の年を知れよ、という意味だということを知った。

借金をする予定も必要もないから生活が変わるわけではないが、お金と自分という観点から考えたことが無かったので世間から少し外された気がした。

 

知人たちを連れて近くを車で回った。

彼らは車を手放していたからだ。

奥さんが運転していたのだが脳梗塞になり半身不随で運転できなくなったのだ。

当初奥さんのリハビリの頑張りように驚かされたし夫も介護に精を出す姿は涙ぐましい努力であると、夫婦のあるべき姿として素晴らしいと思った。

だが今回感じたのは少し違う。

奥さんは杖を使って歩くが後遺症は軽く感じたし喋り方もリハビリ中と言わなければ分からない程度に回復していた。

ところが夫側は仕事もあるのに、それ以外の介護的仕事がどっさり増え自分自身のための時間がかなり無くなってしまった。

健康と自身のストレス解消に使用していた時間を取られてしまったのだ。

だが奥さんは「リハビリ」という名のもとに編み物を朝からずっとやっている。

夫と言うよりお手伝いさん的な扱いに感じているのだろう。

車の中での会話に夫側のストレスを強く感じた。

元々良い夫婦だったがお互いに言いたいことを言わずに過ごしていた気がする。

言いたいことを上手に言うということを今からでも練習して欲しいものだ。

 

知人のお見舞いに行ってきた。

知人は痴ほう症になり私たちの顔も分からないようだ。

だから分からせようと妻が写真アルバムを持って行ったが見ようとしない。

妻は知人の手を握ったり摩ったりを繰り返す。

知人は脳の指令で正気にならないようにしているようだ。

写真を見て、あのストレスフルな現実に戻されまいとしているようだ。

そんな時にも妻は「ちゃんと目を開けなよ」と言いながら指でマブタを開けようとする。

そんな時一瞬だけ真顔に戻ったのを私は見逃さなかった。

言葉の辻褄もあっていた。

夫は、たまに来て妻のたわ言のような話を聞いて帰る。

娘は洗濯物を届けに来て、そのまま会わずに帰っていく。

息子は会いにも来ない。

現実に戻りたくないほうが正しいような気もする。