
「はくちょうゥ~……?
ネーさ、これはァ、おとぎィばはしィ、でスかァ?」
物語の出だしは『その昔、……』で始まります。
御伽噺としてもよいのでしょうが、昔話、寓話の一種と申してもよいでしょう。
そして何より、絵物語でもあるんですよ、テディちゃ。
「ふむッ! ひょうしのォ、はくちょゥさんッ、きれいィでスゥ~♪」
では、白鳥さんたちの伝説を御紹介いたしましょう。こちらを、どうぞ!
―― 白鳥湖 ――
著者はマーク・ヘルプリンさん(文章)と
クリス・V・オールズバーグさん(絵)、原著は1989年に発行されました。
訳者は村上春樹さんです。
オールスバーグさんは、絵本好きさんには『西風号の遭難』の画家さんとして、
映画好きさんには『急行《北極号》』の作者さんとしてよく知られていますね。
そのオールズバーグさんが画を提供したこの作品は、
「ゆうめいィ、でスッ!
ばれえ、なのでスゥ~!」
そう、チャイコフスキーさん作曲によるバレエ『白鳥の湖』……
いえいえ、ちょっと違います。
混同してしまいそうになりますが、
こちらの御本は、『白鳥の湖』とは似て異なる物語。
「えェ~?」
はい、『ええ~?』なんです。
違うと言われても、なかなかそうは思えません。
幼稚園児ちゃんたちも粗筋を分かっているであろうバレエ劇です。
しかし、その点は作者さんも承知しています。
みなが知っている、有名なおはなしと、この物語はどう違うのでしょうか――?
大昔の話だよ、と老人は小さな女の子に語り聞かせます。
むかし、むかし。
或る帝国がありました。
帝国には皇帝が、そして皇太子がおりました……。
「おうじさまッ、でスねッ」
皇子さま、というんですよ、テディちゃ。
しかし、皇帝は皇子の成人より先にこの世を去ってしまったのでした。
帝国の全権力を握った悪心の宰相、フォン・ロートバルトに対し、
皇子の教育係は密かな抵抗を試みます。
人間らしい心を持つ、優しい青年に育てよう。
彼をフォン・ロートバルトの傀儡にさせてはならない……!
その試みは成功したかに見えましたが、
やがて訪れた舞踏会の夜、皇子は――
「ぶとうかいッ!
じゃッ、おうじィ、じゃなくてェ、こうしさまのォ、うんめいはッ……??」
本文には、こうあります。
『ひょっとして皇子は心というものをなくしてしまったのではないか……』
本当に皇子は心を失ってしまったのでしょうか、あの舞踏会の夜に?
文章だけでしたら、もしかしたら、単なる『御伽噺のパロディ』として
終わってしまったかもしれない物語は、
オールズバーグさんの画を得たことにより、翼を与えられました。
読後、『白鳥』と耳にしたとき思い浮かべるのは
もはやチャイコフスキーの楽曲ではなく、
この絵物語の場面です。
手垢にまみれた昔話をヘルプリンさんはどう生まれ変わらせたのか?
2次元の束縛を軽々と踏み越えるオールズバーグさんの素晴らしくも凄絶な画、
村上さんの印象深い名訳文を、ぜひ!
「わすれられなくなるゥ、おはなしィ、なのでスゥ……」