「こんにちわッ、テディちゃでス!
わわわッ! かッこいいィ~♪」
「がるる!ぐるるがるる!」(←訳:虎です!ステキすぎる!)
こんにちは、ネーさです。
大河ドラマ『青天を衝け』に、
私たち多摩っ子の誇り・土方歳三さんが登場しました。
町田啓太さん演ずる“歳さん”のまあ凛々しいこと!
次週もたくさん出演シーンがありますように!
と祈りながら、
さあ、ここからは読書タイムですよ。
本日は、こちらの御本を、どうぞ~♫
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―― モネへの招待 ――
編者は朝日新聞出版の皆さん、
2021年3月に発行されました。
『瞬間を捉えようとした画家』と
副題が付されています。
クロード・モネ(Claude Monet)さん、
1840年生まれ、1926年没――
実はモネさん、
土方歳三さんと同時代人、なんですね。
土方さんは天保6年(1835年)の
端午の節句(5月5日)生まれと伝えられています。
「おなじィ~じだいィ!」
「ぐるるがる!」(←訳:激動の時代!)
19世紀中頃、
日本は政治的に激動の時代でしたが、
フランスもまた政治・経済・文化の点で
激動と激変の時代を迎えていました。
産業革命が起き、
新たな富裕層が経済を動かし、
アカデミーの古めかしい画風に
飽き足りない者たちが
行動に出る。
モネさんもそんな一人、いえ、
率先して旗を振ったひとり、
と申せましょうか。
1874年4月、
モネさんは仲間たちとともに、
グループ展を初開催します。
「それがァ、じだいのォまくあけェなのでスゥ!」
「がるるる!」(←訳:印象派展!)
酷評されてしまった第1回印象派展でしたが、
第2回、第3回……と
回を重ねるにつれ、
世間の風向きは、はっきり変わってゆきます。
少しずつではあれ、
モネさんの絵は売れ始めました。
印象派展も第7回となった1882年には、
人気作家に。
翌1883年には、
ジヴェルニーに転居。
1886年には米国NYで印象派展が開催されて。
「うれッこォでス!」
「ぐるるがる!」(←訳:画題も発見!)
ジヴェルニーの敷地内に
第2のアトリエを建て、
《睡蓮》の絵を描き始めたのは
1897年のこと。
このとき、
日本では既に土方さんは世を去り、
江戸時代は終わっていましたが、
ジヴェルニーのモネさんの家の壁には
多数の浮世絵が飾られてました。
国は違え、言葉も違えど、
おそらく土方さんが見たであろう
広重さんや北斎さんの作品を、
モネさんも目にし、
大切にしていた――
のだと思うと、
あらためて、
モネさんに親近感を抱いてしまいます。
「ふらんすとォ、にほんッ!」
「がるぐる!」(←訳:縁は深く!)
水面に浮かぶ睡蓮の花、
『印象、日の出』の朝もや、
霧にけぶるロンドン国会議事堂、
エトルタの海岸の荒れる波。
”睡蓮の画家”であり、
”水の画家”でもあったモネさんの生涯と、
画風の変遷、
日本美術とのかかわり、についても記された
観ても読んでも楽しいこの御本は、
アート好きさんに、
歴史好きな活字マニアさんにも
おすすめですよ。
ぜひ、手に取ってみてくださいね~♪
わわわッ! かッこいいィ~♪」
「がるる!ぐるるがるる!」(←訳:虎です!ステキすぎる!)
こんにちは、ネーさです。
大河ドラマ『青天を衝け』に、
私たち多摩っ子の誇り・土方歳三さんが登場しました。
町田啓太さん演ずる“歳さん”のまあ凛々しいこと!
次週もたくさん出演シーンがありますように!
と祈りながら、
さあ、ここからは読書タイムですよ。
本日は、こちらの御本を、どうぞ~♫

―― モネへの招待 ――
編者は朝日新聞出版の皆さん、
2021年3月に発行されました。
『瞬間を捉えようとした画家』と
副題が付されています。
クロード・モネ(Claude Monet)さん、
1840年生まれ、1926年没――
実はモネさん、
土方歳三さんと同時代人、なんですね。
土方さんは天保6年(1835年)の
端午の節句(5月5日)生まれと伝えられています。
「おなじィ~じだいィ!」
「ぐるるがる!」(←訳:激動の時代!)
19世紀中頃、
日本は政治的に激動の時代でしたが、
フランスもまた政治・経済・文化の点で
激動と激変の時代を迎えていました。
産業革命が起き、
新たな富裕層が経済を動かし、
アカデミーの古めかしい画風に
飽き足りない者たちが
行動に出る。
モネさんもそんな一人、いえ、
率先して旗を振ったひとり、
と申せましょうか。
1874年4月、
モネさんは仲間たちとともに、
グループ展を初開催します。
「それがァ、じだいのォまくあけェなのでスゥ!」
「がるるる!」(←訳:印象派展!)
酷評されてしまった第1回印象派展でしたが、
第2回、第3回……と
回を重ねるにつれ、
世間の風向きは、はっきり変わってゆきます。
少しずつではあれ、
モネさんの絵は売れ始めました。
印象派展も第7回となった1882年には、
人気作家に。
翌1883年には、
ジヴェルニーに転居。
1886年には米国NYで印象派展が開催されて。
「うれッこォでス!」
「ぐるるがる!」(←訳:画題も発見!)
ジヴェルニーの敷地内に
第2のアトリエを建て、
《睡蓮》の絵を描き始めたのは
1897年のこと。
このとき、
日本では既に土方さんは世を去り、
江戸時代は終わっていましたが、
ジヴェルニーのモネさんの家の壁には
多数の浮世絵が飾られてました。
国は違え、言葉も違えど、
おそらく土方さんが見たであろう
広重さんや北斎さんの作品を、
モネさんも目にし、
大切にしていた――
のだと思うと、
あらためて、
モネさんに親近感を抱いてしまいます。
「ふらんすとォ、にほんッ!」
「がるぐる!」(←訳:縁は深く!)
水面に浮かぶ睡蓮の花、
『印象、日の出』の朝もや、
霧にけぶるロンドン国会議事堂、
エトルタの海岸の荒れる波。
”睡蓮の画家”であり、
”水の画家”でもあったモネさんの生涯と、
画風の変遷、
日本美術とのかかわり、についても記された
観ても読んでも楽しいこの御本は、
アート好きさんに、
歴史好きな活字マニアさんにも
おすすめですよ。
ぜひ、手に取ってみてくださいね~♪