?? ?高取町は橿原市と明日香村に接する人口約7700人の小さな町ですが、「山城日本一」とも呼ばれる高取城址が残る城下町であること、そして古来より薬の町として有名です。土佐街道沿いには旧い町並みや木造建築が今なお残り、風情があります。?
?? 写真:酒樽の上に並ぶ可愛いおひなさま
??「なぜ土佐街道という名前なのですか?」と聞くと、「飛鳥の都を作るとき(だから平城京より昔ですね)全国から作業員や職人が集められたけれ
ど、ふるさとには帰れなくなりここに居ついたから。他に薩摩などの名前も残っている」とねえさん(!)が教えてくださいました。
ど、ふるさとには帰れなくなりここに居ついたから。他に薩摩などの名前も残っている」とねえさん(!)が教えてくださいました。
?? なお、ねえさんとはいえ、かなりおばさん、あるいはおばあさんなのですが・・・。またここで「なぜ、ねえさんなのか?」を説明する必要がうまれました。ねえさんは写真を撮っているあいよっこに「土佐通りをまっすぐ上にあがっていってくと、りっぱな白壁の『植村家長屋門』があるから、それを撮りなさいね」といいました。?
写真:白梅とハンギングフラワーが見事にマッチんぐぅー!
その家こそ「お殿様」である、高取藩二万五千石・植村家忠氏の住居です。植村氏はたくさんの名誉職を兼ねているそうですが、現在は町長として名実ともにトップの立場です。
「二万五千石は少ないけれど、それは『家』の文字を徳川幕府から頂くことで、石高が少なくなったため」とねえさんは力を込めました。今でも町の女性たちとは、「お殿さん」「ねえさん」と呼び合っているのだそうです。?
写真:植村家長屋門は文政9年(1826)の建立。一重入母屋瓦葺造り。
たとえお城は石垣だけになっても、今でもしっかりお殿様が存在し、城下町の誇りときずなは残っているのですね。それが町を愛する気持ちにもつながっているのだなあ、と痛感しました。なお高取城址に行くには険しい山道を1時間半ほど登る距離があり、本格的に山登りの装備が必要だそうで、今回はあきらめました。?
さあてやっとひなまつりのお話です。今年で3年目となった「高取・町家のひなめぐり」は飾り付けに参加する民家も80軒と増え、年毎に盛大になっています。おひなさまも 飾りつけも、それぞれの家で工夫をこらし個性的です。
道路に面してショーウインドウのように華やかなところ、玄関先の風流な生け花お迎えしてくれるところ、カラフルな布のキルティングで満艦飾といった感じのところ、酒樽の上に並んだ
小さな木目込みが可愛いところ・・・・。とにかく見るのが楽しい。(続く)
写真:カラフルで温かみのあるキルティングやさがり雛に囲まれて!
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