パソコンは大好きですが、これだって、初期の頃のように自分で組み立てCPUをクロックアップして楽しんでい る頃は面白かったのですが、今のようにやたらに高性能になってしまってから余り興味がなくなってしまいました。
もちろんお金がなくなったのが一番大きいですが。それでも、以前であれば、同系統のCPUだったのでそれだけを 変えるとか少しず能力をアップして楽しむ事が出来ましたが、途中から同じマザーボードでは使えないCPUに変わって しまったころから一気に熱が冷めてしまいました。
こんな事でも分かるように、私は金をかけずに自分で修理しながら使っていくことに楽しみを見つける性質です。そ んな私が反応した記事がありました。
5月10日、読売新聞コラム「今日のノート」より
窓
「節電で会社が空調の設定温度を上げた。暑いんだ」と東京の知人。「窓を開ければいい」と言うと、「開かない んだよ」。
そうだ、窓の開かない高層ビルは多いのだと改めて思う。そして、開けられてこその窓ではないのか、とも思う。
英語の窓、ウィンドーの語源は北欧語にあり、「風の目」を意味する。風を通すために目のように壁をくりぬいたこ とに由来するらしい。
翻って日本語の窓の語源は「間戸」が有力という。柱と柱の間にあって開け閉めできる。障子や襖との組み合わせで 保温と採光、通風を微妙に調整してきた。
ところが、サッシの登場から建物は高気密になり、空調の普及によって窓は通風の役割を後退させ、採光と眺望に特 化していく。行き着く先が開かない窓だ。前提に空調を動かす電力の安定供給があるのだが、その前提が崩れ始めてい る。…中略
大地震は生活様式の転換をも求めているのだろうか。自然と折り合う謙虚さと知恵を、開けられる窓は語ってい る。 経済部長 泊吉実
窓を開けて風を入れるなんて発想は今の高層ビルには無いんですね。これは今流行の省エネビルという考えが無 かったということでしょうか。それとも、開かない窓はコストが安くつくのかも。
いずれにしても、エネルギー消費を前提とした省エネが騒がれる以前のビルじゃないでしょうか。今時そんなビルを 建てていたら受注も出来ないような気がしますが、ゼネコンの世界はそうじゃないのでしょうか。尤も、設計者はオール ガラス張りのような見栄えや機能美を追及したデザインでなければ名が売れないのかもしれません。
暑ければ窓を開けたり昔ながらのスダレをかけたり、クールビズでしのぐようなビルなんて面白そうですがそんな需 要はないのでしょうか。
パソコンにしてもクルマにしても修理しながら長く使うなんて面白い時代が又戻ってくれば楽しいのにと思うのは私 だけでしょうか。
時代遅れかな!