昨日の台湾統治に続いてグアムなど太平洋の島嶼国の統治の話をねずさんがしてくれています。
今でこそ、当然のように読んでいますが、始めてねずさん達に教えて貰った時は、日本の統治の素晴らしさなんて全く知りませんでした。
この先人の凄さを国民に教えない教育に呆れるしかない。それ以上に、この事実を世界の拡散することも大事です。確かに日本人は今でも殊更に自慢することを良しとしませんが、やはり世界は腹黒いことを理解して、本当のことを広報するべきでしょう。
それを、せずに特亜3国の日本貶めの広報を放置しているのは幾らお人好しの日本と雖も、単なるバカとしか言い様がないでしょう。
何時ものように全文をリンク元で読んでください。どう見ても、戦前と戦後の日本人が同じ人達とは思えません。
ねずさんの学ぼう 日本より 2021/02/14
世界を変える 神の力
・・・略
一方、1914年にはじまった第一次世界大戦の結果、1919年のパリ講和会議で、日本は、ドイツ領だったミクロネシアと、北マリアナ諸島をドイツに代わって統治することになりました。
日本統治になることで、ミクロネシア、北マリアナはみるみる発展していきます。
ここでおかしな現象がおきます。
大国が勝手に決める国境とは別に、島の人々は、相互に交流しているわけです。
米国領であるグアムのチャモロ人が、日本領になった近隣の島々を訪問すると、そこで日本統治による発展を目の当たりにするわけです。
チャモロ人たちが、日本人に対し尊敬と賞賛の気持ちを抱いたのは、当然の帰結だったろうと思います。
そして、1941年12月8日、日米が開戦となりました。
日本は、真珠湾攻撃の5時間後、米領グアムへの攻撃を開始し、わずか1日で米軍の軍事施設を陥落させました。そして12月10日には米領グアムの占領を宣言しています。
日本軍は、めちゃくちゃ強かったのです。
日本によるグアム統治は、その後、約2年7か月続きました。
日本は、グアムを「偉大なる神のおわされる島」を意味する「大宮島」と改名しました。
そして学校、医療、道路などの社会的インフラを整備しました。
同時にチャモロ人に対して、住居・信仰・言論の自由等を保障しました。
現地での教育は日本語で行いました。
本当はチャモロ語で教育したいところですが、社会用語や科学技術用語がチャモロ語にありません。
ですから現地の社会制度を確立し、技術振興を図るためには、日本語で教育するしかなかったのです。
ここは大切なポイントです。
感覚的にわかっていても、それを表す言語がなければ、それを社会制度に組み込むことができないのです。
たとえば日本人にとって対等と平等はまったく異なる概念ですが、英語だとどちらも「イコール(Equal)」です。
つまり両者の区別が言語的には存在しないのです。
でも、そういう違いがあることは感覚的には理解できるから、日本アニメの『ワンピース』などが大絶賛されます。
けれど、用語がないから、それを社会制度に組み入れることができないのです。
さて、こうしてグアムでは、国民皆教育制度が、日本統治下の「大宮島」時代に確立されました。
日本語での教育なのですが、島の人々はとても勤勉で、また日本語での教育を受けることをたいへんに喜びました。
米国統治時代には、名前が英語で書ければ十分だったけれど、日本は、学校を作り、語学、算数、理科、社会をきちんと教育してくれたのです。
いまでは学校教育を面倒に感じる人も多いかと思いますが、それは戦後教育にある一定の歪みが生まれたためです。
本当は、知識を得るということは、とても楽しくエキサイティングなことです。
そのことは、戦前戦中の学校と、いまの学校を比べたら一目瞭然です。
いまは、学校が徒歩五分のところにあっても、学校に通うことを喜びにしている生徒は、あまりいないようです。
けれど戦前戦中は、遠い子は毎朝5キロも10キロも歩いて登校したのです。
雨の日も、雪の日も、です。
なぜでしょう。
学校が楽しかったからです。
そこにはきらめくばかりの知識と思考があふれていたのです。・・・以下略
歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに。 今日のねずブロは《世界を変える神の力》です。 グアムのチャモロ人たちは、いまでも日本の童謡を唄うし、日本を愛しています。 それは日本人観光客がお金を落とすからでしょうか。 違います。日本人の兵隊さんたちが、ほんとうにやさしかったからです。 そして勇気があったからです。 日本人の持つ勇気とやさしさ。 それは世界を変える力を持つ、(本当は)神の力です。 続きはブログで
小名木善行さ んの投稿 2021 年2月13日土曜日
それにしても、我が先人の素晴らしさには感動するしかないですね。あの素晴らしい人達が、教育の所為とはいえ、ここまで劣化するのにも驚きます。
やはり、国家の根源は教育ですね。一日も早く、教育の改革に取組まなければなりません。このままでは、余りにも先人に失礼です。