経団連は相変わらず狂っているようです。何と、消費税の引き上げを提言したそうです。
一体、日本が何故これ程経済に苦しんでいるかが理解出来ないのでしようか。それとも、国民より自社の儲けしか興味ないのでしょうか。
何時ものcoffeeさんが詳しく取り上げてくれています。それにしても、経団連はどうにもならないようです。
やはり正しい国家観も歴史観も持たないが故の考えなのでしょう。
正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装 の実現より 2023/09/16(土)
「同じ給料で生活してみてよ」経団連の“消費税引き上げ”提言にネットブチ切れ!会長は年収1億円の上級国民
優柔不断総理もこの会長と同じ考えなのでしょう。やはり、政・官・財等のお偉いさん達を総入れ替えしないと日本の未来は無いようです。
さて、そんなことが出来るでしょうか。
Chinaの内部で何が起きているのでしょうか。外相や国防相が消えてしまったのだそうです。
宮崎さんが報告してくれています。習皇帝の最後が近づいていると期待したいものです。
「宮崎正弘の国際情勢解題」より 令和五年(2023)9月15日(金曜日)弐 通巻第7912号
外相も国防相も何処へ消えてしまったのでしょう?
♪『赤い靴 履いてた女の子、異人さんに連れられて行っちゃった』
「そして誰もいなくなった」。まるでアザサ・クリスティの小説の題名だと英紙『インデペンデンス』(9月13日)が皮肉った。
中国の秦剛外相が突然姿を消し、核・ミサイル兵器を統御する二人の陸軍大将(ロケット部隊長の李玉超と副官の劉光斌)が更迭され、今度は国防相が行方不明だ。
李尚福国防相は「国際軍事技術フォーラム陸軍」(モスクワ会議)のセッションに出席し、8月29日には、北京で開催された「第3回中国・アフリカ平和安全フォーラム」で基調講演を行った後、2週間、姿を現していない。
対照的にモスクワでは失脚説がささやかれたセルゲイ・スロビギン前統合軍司令官は再登板した。
「習主席の閣僚ラインナップは今やアガサ・クリスティの小説『そして誰もいなくなった』に似ている」と駐日のエマニュエル大使はツイッターXに投稿した。「この『失業レース』で誰が勝つでしょうか?」
その後、9月9日になって習近平が「軍の高いレベルの誠実さと統一性を維持し、軍の安定と安全を確保する」とコメントした。
言外に含むのは軍がハードウェア調達に関し汚職事件の捜査を開始したこと。人民解放軍装備開発局は、「プロジェクトや軍部隊に関する情報の漏洩」や特定企業の入札確保への支援など、調査対象となっていることなどである。
といっても中国の軍にとって愛国心より、汚職で得る金の多寡がもっとも重要で、習近平への忠誠?
「それははなんぼのもんや?」
これが、Chinaの終わりに繋がることを期待します。と言うか、ここまでボロボロのChinaはまだ生き残るのでしょうか。それだけは無いと信じたい。
それにしても、一つの国が滅びるのは結構難しいようです。困ったものです。
天照大神を最高神とする日本の素晴しさをねずさんがむすび大学チャンネルで教えてくれています。
この素晴しい日本文化に感動せずに日本の女性は差別されていると吠える反日売国左翼・在日共はやはり狂っているとしか思えません。
良いものは良いと素直に喜ぶ心を持ちつづけたいものです。
やはり、日本ほど女性が大事にされた国は本当に少ないのじゃないでしょうか。何でも貶すのじゃなくその素晴しさを感謝する心を持ち続けることは大切です。
これを忘れた日本は消滅に向かうのでしょう。
Koreaの悲惨な国柄はどうして生まれたのか。そんなことを教えてくれる動画を、「海外の反応ゆっくり解説ch」がアップしてくれています。
こういうのを見ると韓国人は本当に気の毒です。これこそが地の利の無いということかもしれません。正に日本と真逆です。
「るぱん艦長」はそんな国に産まれた人達が詐欺に走る悲惨さも取り上げてくれています。
日本の戦後の復興は正に奇跡だったようです。子供の頃は昔の日本の文明の残り香のようなものがあり、水道もなく電気も裸電球が一つ、電化製品なんて何もなかった。冷蔵庫や洗濯機なども当然ありませんでした。
それが、気が付くとテレビまで揃っていたものです。小学生が終わる頃にはもう殆ど手に入っていたのじゃないでしょうか。
中学校の時にオリンピックがあった記憶があります。今から考えてももの凄い発展だったのでしょう。
就職した時の初任給が4万円位だったのがあっという間に20万円の声を菊陽になって驚いたものです。
ところが、そこでバブルがはじけ今の停滞が続いています。
とは言え、この戦後の急成長は多分人類が経験した歴史上初めてのことだったにじゃないでしょうか。
「日本の情報」が、そんな日本が世界をつくったと外国人きょうじゅが発言してくれていると紹介してくれています。
戦後の日本は本当に奇跡だったようです。あの時代を経験した団塊の世代にとっては今の停滞は想像もしていなかった。
逆に、今の若者たちは成長というものを経験していない。一体、どちらが幸せなのでしょうか。
と言うか、やはり緩やかな成長は必要なのじゃないでしょうか。