一時期、目に着いたあらゆる物をパーツとして撮って置いて、例えば空や海、道路や屋根や壁や何でも撮り溜め、本気で寝たきりの老後に備えていた。その後ハードディスクの度重なる故障などあり、ほとんど失われたが、今思うと愚かなことであった。その後、浮世絵、かつての日本画の、西洋画や写真にない自由さを取り入れるにはどうすれば良いか、毎度お馴染みの〝孤軍奮闘”していて、陰影がそれを阻害しているのではないか、と思い始めた頃、スーパーからの帰り道、頭の中のイメージに陰影が無いことに気付いて、危うくスーパーの袋を落としそうになった。頭の中では光源まで設定されていない。それまで頭の中のイメージを取り出し、確かに在った、と確認するのが私の創作行為だ、といっていながら、外側の世界に在るかのように光を当てていたことに気付き、ここから一挙に陰影のない手法に向かった。この世の世界でないことは一目瞭然であろう。 この間の〝騒動”は、私の子供の頃からのこだわり、独学我流、マコトを写すという意味の写真という言葉への嫌悪、様々が凝縮されていた。そして自ら作り出した陰影つまり被写体の陰影を取り除く、というアンビバレント、葛藤は、被写体制作、撮影の二刀流の私だけの物であり醍醐味である。その先に在ったのが寒山拾得ということになろう。