明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



毎年大晦日はやれることをやったか?と確認する日にしている。死の床であれを作るんだった、これも作るんだった、と後悔するのを恐れたからだが、その原因が小四で読んだ『一休禅師』の〝門松は〜“だと気付き、陰影が描かれなかった鎌倉、室町時代の人間には逆に陰影を与えるべきだ、と気付かされたのも一休であった。その大人向け『一休禅師』を読んだって判る訳ないといいながら買ってくれた母が数日前に亡くなった。 また坐骨神経痛で寝込んだり、7年ぶりに風邪をひき、来月には冠動脈の手術。いい加減にしろ、という警告だろう。しかし私は他の事をせず、一つのことに集中してようやくこの程度である。 途中挫折を避けるため先の予定は3体まで、という名案も、一休和尚のせいで台無しとなり、制作すべきものが頭の中で渋滞している。そして来年も“人間頭に浮かんだものを作るようにできている。“という某脳科学者のいう仕組みに翻弄されることになるだろう。法然上人の“法然頭“を作りながらの年越しである。ホームの母は、長居すると”もう良いから帰って作りなさい“といった。



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以前作った臨済宗の開祖臨済義玄だが、この怒目憤拳の姿は中国で創作され、日本に伝えられ相当流布したらしく、様々な絵師が手がけている。私が作った時は調べても実像が判らなかったが、大徳寺に残されているものが実像とされているなら、全く別人で穏やかな表情である。蘭渓道隆、無学祖元、一休宗純を作ってみると、怒目墳拳版は並べるには違和感がある。並べるなら大徳寺版を立体化するべきだろう。来年の課題である。だいたい頂像というものは、無背景で記念写真のように斜め45度向いて座っているのが定型である。なので開祖臨済義玄も陰翳を与え、誰も見たことがない正面を向いてもらいたい。正面を向いたり立ち上がってもらいたい人物はいくらでもいる。



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最初に写真を発表した際、人間の実写と間違われ翌年作家シリーズに転向した。わざわざ人形作って腐るほどあるジャズ写真を模倣した人間にされてしまったからである。もしジャズミュージシャンでなく、写真どころか陰翳も存在しない鎌倉、室町時代の人物だったらどうだったろう?こうだっただろう、というのが浮かばない。何かと間違う人がいたとして、一体何とどう間違えることになるのか。 一度だけ人間を撮ったように試してみたのが古今亭志ん生だったが、老人があんな大きな太鼓を担ぐわけがない、或いは志ん生があんなことするわけがない、という面白さだけである。それは”実写“に見えるからである。これを鎌倉、室町時代の人物でやったなら。それは一体何だ、ということになるのだろう?

 

 



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小4の時に、大人向けの『一休禅師』をねだった私に、判る訳ない、と止めたのを覚えていた母が昨日の早朝亡くなった。95歳。コロナに2回罹患も無症状で、とにかく痛い苦しいがまったくなく逝ったのは何よりであった。一休禅師は買い物帰りに書店の店先で、店主の前で、拒否しにくい状況でねだったのは間違いない。あの時読んでなかったら何が変わっただろう。 口うるさい母だったが、最初の子育てが私だったら、と思うと今ならその苦労は判る。父が早々に脱サラし、鍵っ子にしてしまったことにも気を揉んだだろう。その鍵っ子時代に私の妄想、空想空間が作られたと考えているけれど。子供が口を開けたまま東の空でも眺めていたら、ロクなことは考えていない。手遅れになる前にアンモニアでも嗅がせるべきだろう。 母に対する意趣返しは、訪れるセールスマンに「ウチにありますので間に合ってます。」という母の背後から「それウチにないよ!」。嘘をついてるのは母なので、叱られることはなかった。 叱られた時太ももに線香を押し付けられた記憶があり、ひどいことしたな、というとそう見せかけて爪でつねっていた。お隣のおばちゃんに教わったと聞いたのは今年だった。

台風一過、お隣との記念写真

 

 

 

 



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97年、初めての作家シリーズ個展会場に、日本に一台立体をスキャンする機械があって、それで私の作った作家を映像で動かしたい、という人が来た。しかし当時ワープロすら触ったことがなかったし、まだデジタル映像は現実感に乏しく、聞く耳を持たなかった。 昨日友人がYouTubeを始めた。何気なく見ると、ちょっと緊張した面持ち?後でAIだと聞いた。口も発音に合っているではないか。 これが可能なら、一休禅師に“門松は冥土の旅の一里塚、目出度くもあり目出たくもなし“法然上人に“南無阿弥陀仏“一遍上人に踊ってもらうことさえ可能だろう。こういう面白い情報は、私の手術が終わった後に教えろ。まだ死にたくない、なんて私にいわせるんじゃない!」という話である。



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小学生の時『巨人の星』を観ていて、一人に撃たれただけなんだから大リーグボールを使い分ければ良いのに、と思った。今後私が多投することになるのは、背景と人物を別撮りし合成する私の大リーグボール2号だろう。最も応用が効き、最も使用期間が長い。 蘭渓道隆を作ってみて、陰影のない平面画像を立体化するのは非常に時間がかかった。葛飾北斎の自画像や松尾芭蕉の門弟が残したようなような描法だとむしろ想像力を発揮する余地があるので楽だが、臨済宗の頂相の精細な描写は下手な想像力を挟む余地はない。作品化するには熟慮を要する。 陰翳を与えられたことがない時代の人々に陰翳(立体感)を与える。本当にこれが私が最後に成すべきことなのだろうか?何度も裏切られて、その度に先がある。まあ良い。私の良いところは需要など考えないところである。需要がある物はおおよそつまらないと決まっている。かみさんがいたらそんなことは絶対書かないが、いないから平気である。



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写真の創作上の自由を得るため陰影を排除しよう、と思った時、何が躊躇させたかというと、立体を制作するということは、陰翳を作り出すことに他ならない。良かれと思ってやってきたことを否定することになってしまう。しかし、立体として制作した人物を、私にはこう見えている、というところまで表現するには、立体作品だけではどうしても届かず、創作上の最終形態は写真作品となるので飲み込んできた。 90年代、廃れたピクトリアリズム写真技法に夢中になったことがあったが、晩年それまで制作してきた作品をオイルプリント化して終わるためにやっていたのだ、と思った。ところが違った。陰翳を排除し石塚式ピクトリアリズム、私の大リーグボール3号だ。もういい加減止めてくれよな、と思ったがこれも違った。 鎌倉、室町時代の人物に陰翳を与えよ。一休禅師の御託宣である。



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死の床で“陰影のない鎌倉、室町時代の人間にこそ陰影を与えるべきだった!”と気が付くことを想像するとゾッとする。一休和尚は私にとってマッチポンプのようなものである。和尚にいわせれば”陰影さえなくせばなんとかなる、と思い込んでいるようだから、良きところでポンプで水をぶっかけたのだ“というかもしれない。 こうなったら途中挫折の可能性を低めるためには、作戦を変え、作るべき人物は熟考に熟考を重ねなければならない。昔は余計な物を作っては、そんな物が道を作ってきたのは確かではあるけれど、今となれば状況は違う。“もし私が一遍上人を作ったなら?“などと考えてはならない。 一休和尚自身は相反するものを抱えながら、そういう顔をしていない。禅というものの奥深さなのか一休個人の特質なのか、座禅ひとつしたことのない私には判らない。



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昨年考えもしなかったこと、出来なかったことを成したか?でなければただ一年冥土の旅に近づいただけである。ずっと死の床で、あれも作りたかった、これも作るべきだった、と後悔に身を捩って苦しむことを恐れて、毎年、大晦日のブログで確認することにしている.その恐れの原因が小4で読んだ『一休禅師』の門松は冥土の旅の一里塚目出度くもあり目出度くもなし、だと、その場面の一休を作っていて気付いてしまった。そこで長期の予定は立てず、制作予定は3体に限る。という名案を立てた。おかげで初めての検査入院は、まったく動じず。 それがこれまた一休のせいで鎌倉、室町の人物にこそ、陰影を与えるべきだと気付かされてしまい。冠動脈の手術を来月に控え、作るべき物が一列縦隊で並んでいる始末である。〝どうするんだよ!”地元の先輩に同手術を経験した人がいるので、念のため、その手術がいかに大した手術でないかを、もう一回聞くことにしよう。



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昨日の続きである。人間を撮った実写と間違われたことをきっかけに、まことを写すという意味である写真に、ずっとあらがい続け、この期に及んで写真のない鎌倉、室町時代の人物であれば、人間を撮った実写と間違われようと何も問題ないではないか。と昨日気が付いた。いや気が付いたのは、もっと大きな因縁である。 紙幣に選ばれる人物の条件は詳細な写真が残されていることだそうである。私としてもそれは似たようなものである。となると、写真が登場以前に、写真に匹敵するリアリズム表現を日本で探すならば、臨済宗の頂相しか存在しないと私は考えている。つまり私が写真登場以前の人物を作ろうと考え、制作上のこだわりを全うしようとするなら、結局、選択肢は一つ。ということになりそうである。



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96年ジャズやブルースをモチーフにした写真を発表した時に、被写体が目の前に並んでいるのに、写真作品は人間の実写と勘違いされた。そんなつもりで作った訳ではない。以来、廃れた古典技法を手がけてみたり、まことを写す、という写真に、長い間あらがい続けることになった。 そして長い旅路の果てに、写真から陰影を廃したことにより、夜の夢こそまことな私もついに終着点に至った。そう思ってきた。ところが陰影が描かれることがなかった鎌倉、室町時代がモチーフならば、むしろ陰影を与えるべきではないか?これがここ数日の話である。 待てよ?写真など存在しない鎌倉、室町時代の人物であれば、実写と間違われたところで問題などなく、むしろあり得ない分面白い、という話ではないか?熱いお茶でも飲んで一旦落ち着くことにしよう。

 



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〝日本人が何故陰影を描かなかったのか。光源が一灯の世界と違い、日本には便所にまで神様がいる。その数八百万という。陰影など出来ようがない“などといっていたのはごく最近の話である。写真に浮世絵やかつての日本画の自由さを取り入れるために陰影を排除した。これなら寒山拾得も手掛けられる。その流れから気がついたら鎌倉、室町の高僧を作っている。 我が胸中に、亡父のデータが3Dで自由自在に動かせるほどあるせいで、都内に墓があるのに骨片が埋まっているだけの墓参りに行く気になれない。こんな不信心者に、日本に初めて本格的禅をもたらせた人物を作らせるには、他にどんな方法があっただろうか? ところが気が付いてしまった。陰影なき鎌倉室町の住人には、逆に陰影を与えるべきではないのか?やってみてようやく気付く。やらないと気付かない。独学我流者はこうしてずっとやって来た。



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蘭渓道隆を最初に興味を持ったのは、国宝の頂相が、技術的に日本ではなく、中国で描かれた説があったほどの説得力に圧倒されたことが一番だったが、唯一生前に描かれているし、本人の賛まで書かれている。これが実像でないという理由がない。ところがだとすると、これが正面を向いたなら、と考えた時、納得出来る作品がなく、全国には噂話だけで作られた、あるいは噂話さえ聞かずに作られたような像まであって、これは自分で作って360度見てみたい。これが最初であった。    法然開宗850年の今年、大きな法然展があったが、観に行かなかった。法然の最古の肖像画が実像だと想定した場合、おそらく私とは意見を異にする作品しかないだろう、と思った。『ミステリと言う勿れ』の第一話で菅田将暉が語った〝真実は人の数だけあるが事実は一つ“に納得させられた。なので歴史に残る他人の作った像を見て、あの顔が正面向いてこんな顔になるかよ、なんていわず、私なりの真実だけに集中することにしている。

 蘭渓道隆

 



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法然最古の肖像画はお馴染みの斜めを向いて数珠を手にしているもので、以降の肖像画、立体像はその一点がおおよそ元になっている。 本人を知らない、という意味ではどんな名工だろうと私と条件は一緒である。参考になるのはその原画一点のみである。 私のロバート・ジョンソンやマイルス・デイヴィスや泉鏡花や永井荷風と人間の共演も可能だが、そんなことを考える人はいないので、谷崎潤一郎や江戸川乱歩と義太夫三味線の鶴澤寛也さんや30年以上通った煮込み屋の女将さんと太宰治や、文庫の表紙でドストエフスキーと著者の共演を試みたが、法然の背後で法然像を収める予定の寺の住職が南無阿弥陀仏を唱えている。なども可能だな、と頼まれもしない余計なことを思いつく私であった。

 



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浄土宗の寺のため、法然の頭部の制作の準備。今年は法然上人開宗850年だそうだが、年内完成は無理である。迫真の頂相が残されているのが臨済宗の特徴であり、私は仏像には全くといっても良いほど興味がなく、人間が作りたいだけなので、モチーフが臨済宗関連になるのが正直な所である。紙幣に使われる人物の条件が、詳細な写真が残されているのと同じである。 法然はコピーが繰り返された最古の肖像画を元にするが、その解像度は臨済宗の頂相とは比ぶべくもないが、私にも人間は最低でも“こうなっていないとならない“という渡世上のラインがあるので、ディテールアップが必要である。この場合モノをいうのが人の顔相の記憶のデータである。なんとかそこまで持って行きたい。明日には蘭渓道隆の立ち姿制作の準備も始めたい。華奢な割に肩幅がある。



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