小4の時に、大人向けの『一休禅師』をねだった私に、判る訳ない、と止めたのを覚えていた母が昨日の早朝亡くなった。95歳。コロナに2回罹患も無症状で、とにかく痛い苦しいがまったくなく逝ったのは何よりであった。一休禅師は買い物帰りに書店の店先で、店主の前で、拒否しにくい状況でねだったのは間違いない。あの時読んでなかったら何が変わっただろう。 口うるさい母だったが、最初の子育てが私だったら、と思うと今ならその苦労は判る。父が早々に脱サラし、鍵っ子にしてしまったことにも気を揉んだだろう。その鍵っ子時代に私の妄想、空想空間が作られたと考えているけれど。子供が口を開けたまま東の空でも眺めていたら、ロクなことは考えていない。手遅れになる前にアンモニアでも嗅がせるべきだろう。 母に対する意趣返しは、訪れるセールスマンに「ウチにありますので間に合ってます。」という母の背後から「それウチにないよ!」。嘘をついてるのは母なので、叱られることはなかった。 叱られた時太ももに線香を押し付けられた記憶があり、ひどいことしたな、というとそう見せかけて爪でつねっていた。お隣のおばちゃんに教わったと聞いたのは今年だった。
台風一過、お隣との記念写真