明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



幼稚園での記憶。お絵描きの時間。クレヨンを手にしながら、あるいは工作をしながら、自分の中に何かが起きている感覚があった。今思うとある種の快感物質が出ていたのだろう。幼い子供が口を開けたまま東の空でも眺めていたら危険である。お隣のおばちゃんに「ボク、口を開けてると埃が入るわよ。」とよくいわれた。母はさすがに異変を感じていた。自分と何かを比較して考えるという、おそらく社会人として生きるために用意されている、そんな部分が欠如していた。おかげで思い付いたら躊躇せず作る。   唯一躊躇といえば、陰影を排除した時。良かれと思って作った陰影である。何事もそうだが、何かを得るためには何かを捨てなければならない。この理屈は理解していた。引き換えに構図の自由を得た。そしてまた再び陰影を与えようとしている。


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なんとか一月中に大覚禅師の仕上げが終わる。後は着彩すれば坐禅姿に次いで立像の完成となる。いかにも中国的な尖った岩山の山頂に立たせるのだが、私は何かの先端に立たせたくなる。孤高の存在的なイメージか。村山槐多も槐多作『尿する僧』(いばりする僧)にちなみ背後から注射器で立ちションをさせた。まだアナログな時代であった。発泡スチロールの岩に、足元に生えた草を貼り付けた。〝青春王子“村山槐多像とした。近作でいえば帆柱の先端で刀印を結ぶ半僧坊。先端ではないが、オウム貝に乗って空を飛ぶ澁澤龍彦も作った。 今後陰影(立体感)を与えて見たい人は色々いる。



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自分にそのつもりがなくても、自分を焦らして創作の快感をさらに高めよう、という悪癖が出ているのか、仕上げが予定より遅れている。背景を先に用意して主役をその状況に合わせて最後に合成する手法は、隔月で交通局のフリーペーパーの表紙を担当していた時の苦肉の策で、写らないところは作らないで、ようやく入稿に間に合う、と会う有様であったが、被写体制作者と撮影者が同一という二刀流ならではあったが、今回は被写体も展示用に作っているので、あの頃より時間がかかるのは当然である。 そういえば、心臓に対し自覚症状が全くなかった私に、手術を担当した先生が、私がセカセカ忙しい人間であったら症状が出てたかもしれませんよ。と笑っていた。昔は慌てるコ○キはもらいが少ないといったものである。

 



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一日  


昨日は念の為風邪薬を飲んでギターを弾いたりダラダラ過ごしたが、風邪引いたり、酒ぐらい飲まないと一日中作ってしまうことになる。その調子で長年やってこの程度か、と思わなくもないが、考えるな感じろでやっているうちに、私の頭で考える程度のことは、ずいぶん前から超えているので、良しとしている。それにしても、そうなるまでが、あまりにも長かった。好きでやってるから良いようなものの。しかし肝心なのは頭で考えることを、ヘソ下は三寸、丹田辺りのもう一人の私が超えてからである。降って来たものをひたすら拾わなければならない。しかし個展会場では、制作意図を後付けし、熟考の末作りました。という顔をしている。

 



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最初のジャズ、ブルースシリーズでの実在したミュージシャン、次の作家シリーズ、共に被写体は写真を参考に作ったが、すなわち、光と影を与えられたことのある人物ということになる。そして陰翳を排する手法をとるようになり、経緯はともかく、気が付いたら写真どころか陰翳を与えられたことのない時代の人物を手掛けるようになり、立体を造形し被写体とする私は、むしろ陰翳を与えるべきだろうということに。 今日は暖かくして休むことにした。PeeWee CraytonのBlues After Hoursのギター練習。私には作品の完成を前に自分をじらし、より快感を高めよう、という悪癖があるが、今日は少々疲れが出たようである。



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この調子でいけば明日の夜には着彩に入れるぐらいにりそうである。昨年暮れに、ようやく至った手法と思っていたものが、あっけなく崩れてしまった。といっても、やめる訳ではなく、都合により使い分けることにしたけれど。 新作は背景に青空を使う。それまでの陰影を排除した手法では、青空どころか、実際の空を使うことも一切なかった。そして山頂に立ち、遠くを見つめる大覚禅師。立像にしようと思った時に、すぐにこの画が浮かんだのだが、その後に手法の件や個人的な様々が起きた。大覚禅師には作者のそれらを踏まえ、背負って山頂に立ってもらうことにしたい。その視線の先は、これから禅を伝えるために向かう日本なのか真理なのか。シリーズ第一作の一休禅師はたまたま出来たものだが、大覚禅師が実質的な新シリーズ第1作ということになるだろう。



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昨年の暮れ27日に母が亡くなり、私も冠動脈の手術などでずっと落ち着かなかったが、新作の大覚禅師(蘭渓道隆)立像の仕上げも進み、今日は落ち着いて一日過ごした。のんびり仕上げをしながらカレイの煮付けを作る。いつもならアクも味のうちとばかりに適当にやるところだが丁寧に取り、一度冷まして味を染ませる。寒くもあり、昼から燗酒。 昨年スマホで撮影した母の映像や、ノートに書かれた何気ない書きつけなど未だ見る気にはなれないでいる。春ごろだったか、どさくさに紛れて母に感謝を伝えたことがある。多少呆け気味だからいえたことで、そうでなければ照れ臭くていえない。「感謝してるんだ。」母は笑っていた。



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ジャズ、ブルースシリーズの最初の個展で、被写体が目の前に置いてあるのに人間を撮った実写と間違った編集者。そんなおっちょこちょいは一人であったけれど、わざわざ人形作って、既存のジャズ写真風なものを制作する人に見えてしまったというショックは忘れられず、その後長い年月を、まことを写すという写真というものにあらがい続けることになった。それに対する私が至った結論が、写真から陰影を排する〝石塚式ピクトリアリズム“だったが、実はそれは〝わざわざ人形作って、ジャズ写真どころでないほど描かれ続けた日本絵画風なものを制作する人“になっていたのではないか? それに昨年暮れに気付いて鎌倉、室町時代の人物を陰影与えて撮影することにした。それは、私があらがい続けて来た写真的であるほど効果的だろう。これはなんとも皮肉な結論といわざるを得ないが、最初から普通に写真好きな人物の作品とは似て否なるものがそこに無かったらおかしい。それが何かは、私はまだ知らない。

 



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母が亡くなり冠動脈の手術があろうと、制作中の作品の完成に対する期待感のおかげで平静を保ち笑っていられる。それは幼い頃からお馴染みのモルヒネ成分に似た脳内麻薬のせいだろう。 勘違いしていたことがある。私の気の合う友人、何か作っている連中も、私同様、あの物質が脳内に生成されていると思い込んでいた。それが、結婚をして子供を作ったり、株式会社を立ち上げたり、あの物質が脳内に生成されている人間とは思えない奇妙な行動を取るようになる。そうこうして連中にはあの物質が生成されていない?と気付くが、だとしたらあまりにも可哀想で、とても確認することが出来ずに今に至っている。 まあ人の幸せは人それなので、ここだけの話にしておくけれど。



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一日  


蘭渓道隆仕上げ進める。午後、カテーテル手術をした病院に行き、特に変化がないことを報告。2回目の手術は、母の四十九日過ぎてからに決まる。年末から一挙にドタバタと様々なことが重なった。それでもまだ、作りたいものが完成まじかで目の前に立っているから良いようなものである。それにより身のうちに麻薬成分を熟成する術があるおかげで平穏を保ち、さらに笑っていられるのは何よりである。 昔、刑務所内でこんなことをやっていられるなら、娑婆にいる時と変わらない物作って出所してやる、なんていったものである。いいたいことは判らないでもないが、他にもっと気の利いた例えはなかったのか?

 



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今週中にも仕上げを終え、着彩に入れるかもしれない。後は禅師が立つ岩と本人を撮影し、背景に配せば完成である。私がもっとも多用し、様々な条件に対処するため苦肉の策で始めた、私にとっての大リーグボール2号である。背景を先に用意し、それに合わせて主役を撮影するのだが、角部屋の2方向の窓と、室内の乱反射する光により後で人物を撮る。現在の所に引っ越した時は、すでに陰影を排した大リーグボール3号に移行しており、陰影とはもう縁がない、と思い込んでいたが、つい2方向から光の角部屋 を選んでいた。乱反射の件は、私が住めば自動的に室内に乱反射が生まれる。 今回は青空を背景にするが、陰影のない3号は、反射する物、特に天敵は水の表現であり、結局解決不可の事案であったが、2号と3号を使い分けるとなれば、話が違って来るだろう。

 



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『巨人の星』を観ていた小学生時代、一人に打たれたからって、大リーグボールを使い分ければ良いのに。と思った私は、背景と人物を別々に撮り、光を合わせて合成する私の大リーグボール2号と、陰影を排する3号を使い分けることにした。本来、矛盾を受け入れず、一度決めたなら、その日から生まれ変わるべきだ、と融通の効かない私であったが、この歳にして、ようやく矛と盾を使い分けよう、という心境になった。2号、3号ともに、それでなければ、どうしても成せないものがある。しかし2号と3号を使い分け、より多くの創作上の快楽を貪ろう、というのが本当のところだろう。何をおいてもそれを第一に優先して来た人間の性根が、そう変わるはずがない。 蘭渓道隆立像、明日より仕上げに入る。



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一日  


蘭渓道隆を台から切り離し、禅僧の履く靴をおおよそ作って乾けば仕上げに入る。法然の頭部おおよそ完成する。耳毛まで描いてしまう臨済宗の頂相に比べると、想像を加える余地がある分完成は早いが、もう少し粘りたい。明日ははるか雲の上にいる、という設定の善導大師の制作を開始したい。かなり小さく作るつもりである。 子供の頃は、鉛筆、クレヨン、紙さえ与えておけば何時間でも大人しくしている、といわれていたが、今は粘土さえあれば、いくらでもやることがあり満足である。思えば私の満足は安上がりに出来ている。二十代の頃、粘土会社の社長に「石塚さんの使ってる粘土は小学生用ですよ?」といわれてちょっと高いのに変えたけれど。『情熱大陸』で冠動脈カテーテル手術を観た。一昨日こんなことされてたのか。



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退院  


後日、もう一回入院の予定だが、まずは退院。顔は見ていないが、隣のひどいイビキの爺さんと思っていたのが、実は私より7歳歳も歳下だった。膀胱癌らしい。私は退院だが、可哀想なのは、爺さんのイビキでやはり寝られなかった向かいの人である。脈拍が早くなって、夜中に看護師が飛んできた。「うるさくて寝られないんだよ」。イビキの主は平然と寝ていた。〝部屋変えてもらえないのかな?可哀想に“と思いながらとっとと病室を出た。 入院中、資料を読んだりYouTubeを眺めたりしていたが、どうしても余計なイメージが浮かんでしまう。制作予定は3体まで、のルールは新シリーズ開始のためすでに反故になっている。 帰りに図書館に寄る。『法然上人絵伝』上人の夢に出て来た善導大師との『二祖対面』の場面を見る。法然は善導大師を見ているので、顔はよこ顔、全てを顔のために作っている私としてはこれではダメである。



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昨晩は隣の老人のイビキがうるさくて困った。起きてる時は弱々しげだが、寝入った途端〝さぁ行け進軍!敵は我がものぞ”調。 午前9時にオペ室に。前回同様、カテーテルは手首からと聞いたので、鼠蹊部の剃毛はなしだ、と思っていたら術中の排尿に備えて、全開オーブンのまま何やら装着される。もう目を閉じ、まな板の上の貝に徹する。さすがに検査と違って長く、圧迫感など様々あったが無事終了。また流れる天井見ながら運ばれる。ベン・ケーシーのオープニングである。   本日のオペ室にはベン・ケーシーを知ってる人などいなかったろう。 ステントというものを入れると聞いていたが、バルーンによる拡張のみで体内には何も残っていないという。もう一刻も早く帰って大覚禅師と法然上人を作りたい。母の葬儀でアメリカから帰った妹にとって私は近所で酒飲んでグウタラしながら趣味の粘土細工をしているように見えるらしい。



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