明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



たまたま昨日の誕生日に大覚禅師(蘭渓道隆)立像がほぼ完成した。先日亡くなった森永卓郎は、一学年下らしいが、死を覚悟し13冊も書いたそうである。私は一休禅師の〝門松は冥土の旅の一里塚〜“のせいで死の床であれもこれも作りたかった、と苦しむであろうことを恐れ続けた。そのおかげで作り残しを避けるため作り続けてきたし、さらに途中挫折を避けるため、先の予定は3体まで、という策を弄していたのに、その一休のせいで、これで終わるつもりでいた陰影を排除する手法から、鎌倉、室町時代の人物には、むしろ陰影を与えるべきだ、と新たなことを始めることになってしまった。やはり頭で考えたことは上手く行かない。そこで頼りは、幼い頃からお馴染みの快感物質である。大覚禅師に陰影を与える期待感で、どうでも良くなっている。冥土の旅の大きな一里塚とならないものだろうか。

 

 



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人生上の皮肉といえば大げさだが、写真やパソコンなど、かつて嫌いだったり、苦手だったりしたことばかりが、現在主要な手段となっている。そして何より、超が付く面倒くさがりが1カットのために時間を費やし、年々面倒な方向に突き進んでいる。 手法により適合するスタイルというものがあるのだろう。陰影を排した手法は、構図の自由さは得られたが、どうしても長焦点レンズ的になり、古典的日本画調になった。それが一転、鎌倉、室町など、絵画上、陰影が与えられたことのない人物に陰影を与えようとなると、デジタルカメラを手に、私一人鎌倉時代に降り立ったような顔をして、あれだけあらがい続けて来た〝写真的“に撮りたくなってくる。これを人生上の皮肉といわず、ポジテイブな意味での転がる石に苔むさず、ということにしておく。



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写真発明以前の人物制作は参考写真を集めて始めれば良いが、それ以前の人物を手掛ける場合、元にする肖像画の、描写が肝心なのは当然だが、生前に製作された寿像、没後に製作された遺像があるとしたら、迷わず寿像を選択する。そして何より、これが実像に近い、と信じたなら、他の作品が、どんな巨匠の作だろうと、文化財だろうと一瞥もせず、師の姿を後世に残そうとした人達の想いをひたすら尊重する。 各地方、各時代に制作された別人が如き像が存在する場合も多く、それぞれが拝されている。『ミステリと言う勿れ』の第一回で久能整が、かつて誤認逮捕をした刑事にいう〝真実は人の数だけあるが事実は一つ“まさにである。私なりにではあるが誤認制作?は避けたい。そしてその像に陰影(立体感)を与え、それを被写体に現世の光を与え撮影となる。昨年末より様々あり、ようやく大覚禅師立像、着彩に入る。


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月一のクリニック定期検診。母もそうだったが、椅子に長時間座っていると、膝から下が浮腫む。そこで心臓の検査を、ということになった。いやこれはそうではなくて、と思ったが、紹介された病院に行って、冠動脈2本に不具合が見つかった。自覚症状がまったくなかったので運が良かった。このままでいたら岸部一徳得意の、心筋梗塞の発作をいずれ起こしていただろう。昨年末、タウン誌の連載に、私の死生観に影響を与えた一休禅師について書いたが、初の入院について触れたので、ホームの母に心配させても、と退院してから見せるつもりが知らずに逝った。 区の定期検診で安心している連中に、それじゃ絶対見つからないぜ、と島帰りの悪党のようにアドバイスしているが、区の定期検診といえば、小学生のように、おじさんがパンツ一丁で並ばされる、とずっと思い込んでいたので、冗談じゃない、と様々な不具合の発見が遅れた私であった。



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頂相は大体きょくろくという背もたれのある椅子に座っており、脱いだ中国風の沓が台の上に置いてあり、だいたい斜め45度を向いている。禅宗でも黄檗宗の隠元禅師などは真正面を向いている。その辺りの事情が知りたいところである。沓も今の寺で用いられる沓とは趣が違うようだが、絵画として描かれているので参考になる。 陰影を排除した手法を始めたことは、結果的に、寒山拾得を入り口として、信仰心に欠ける私を鎌倉や室町時代の高僧制作に誘導することになった。作家シリーズから、このモチーフへの移行は、他にどんなストーリーも考えられない。水木しげるの漫画で、奇妙なものに出会った少年が、今のはなんだったんだろう?などと、うっそうと描き込まれた山道をぶつぶついいながら歩いてる、そんな場面がたまらなく好きだが、今朝の私は寝床の中でそんな感じであった。

  

 

 

 

 



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法衣の色というのは色々決まりがあるようで、つい無難な色にしてしまう。しかし昔の頂相(禅宗の高僧の肖像画)を見ると、なかなか色彩に富んでいる。二十代の頃、深夜、ジャズのラジオ番組を聴きながら、架空のジャズマンに色を塗っていた。ちょうどその時、モダンジャズギターの開祖、チャーリー・クリスチャンが、飛行機から降りたった時の服装を説明していたが、モノクロ写真しか存在していない時代の人物ゆえチンドン屋か?と唖然として筆が止まった。私が作っているのが架空の人物だというのに、こんなことで良いのか?以来(多少)カラフルになった。制作中の昨年末に母が亡くなり、その二週間後に冠動脈の手術を受けた。まして実質的に新シリーズの一作目である。大覚禅師の遠くを見る目に、あるいは法衣の色に多少でも、私の何らかの想いが反映されていても良いのではないか。



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親に似る、ということがあるなら親に似ない、ということもあるだろう。工学部出て脱サラするまで錨’の設計をしていた父は日曜大工が趣味でノコギリからカンナ、砥石の使い方、パンダ付けなど子供の頃に教わったが、ことごとく下手くそであった。こんなことをしていると器用だと思われるが、そんなことは全くない。頭に浮かんだ物を見てみたいの一念のみで、その方法は、合理的とはいえない。執念の分、作品に何某か趣が加わっているのではないか、と期待してはいるけれど、実情はその分膨大な時間を費やす結果となっている。今日はある作業を試み、ただイライラして断念。腹立たしいので何を試みたかは書かない。



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