明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

立体  


臨済義玄は口をさらに開け、血管を浮き立たせるところ以外は、それが作法とばかりに、左手の上に、握った右手を乗せるところまで、そのまま描きたい。それが私の場合は立体である、ということで充分であろう。余計なことをしては怪我をする。だがしかし。その表情に惹かれ、予定していなかった開祖制作にかかわり、知らなかったこととはいえ、思いのほか気を揉んでしまった。これは元を取らせて貰わずにはいられない。なんていうとまたバチが当たりそうだが、せっかくの立体である。陰影のない石塚式ピクトリアリズムを敢行した後、その激しい表情に合わせ、陰影まる出しのライディングで撮ってみたい。立体は一度作ってしまえば、何処からでも撮れるし何処からでも光を当てられる所に面白さがある。

 



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つい横道にそれて作ってしまったみたいに臨済義玄は、展示の際には端の方に、なんていってたバチが当たったか、以来日中から薬を盛られたかのように眠くてしょうがない。 臨済宗の開祖となれば、寒山拾得こそ脇に回るべきでかもしれない。 凄まじい喝!の形相を描いた曽我蛇骨(じゃこつ)の画は、一休宗純が賛を書いており、一休は蛇骨から画を学び、蛇骨は一休から禅を学んだ間柄である。蛇骨の義玄像は見てきたように描いているが、本人を知らないという意味では私と同じ条件である。こうなるといつも無条件に参考にするのは引っかかるので、一日かけて調べた。 元来資料などない時代から模写され続けた鼻毛、耳毛まで描かれた温和な表情の義玄像が日本では室町時代に模写されているが、中国北宋末、南宋初の禅僧が、伝統に乗っとった義玄像を描いている画工に命じて、あの形相の義玄像を描かせたのが起源だと判った。 これで納得した。ここまで古いと、現代、末席に座す私にとって事実だ、といってしまって良いだろう。喝!と言い始めか言い終わりか判然としない口をさらに開け、喝の瞬間にし、側頭部に血管を浮き出させた。これはジャズ時代から緊迫感を出すために用いてきたが、今回は首筋にも浮き出させるつもりである。  禅宗には“不立文字、”という言葉があり、その分、禅画の類が発達し残されて来た。そういう意味では、臨済義玄像は、すでに何某か私に対して効果を与えているといって間違いない。



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当初、二人の乞食坊主と禅師一人に虎一匹による個展をするはずが、出演者が増えて来て、しまいには臨済宗開祖、臨済義玄の頭部まで作ってしまった。すっかり絵図が描き変わってしまった。だからといって、それではどうしよう、などと頭を使ってはいけない。間違いの元である。まだボディビルでいうところの筋肉量を増やすバルクアップの時期であろう。 朝食を済ませ日曜美術館で、蝦蟇仙人と白いガマをみた。『私の蝦蟇仙人はガマガエル調にしてしまったが、余計だったかなあ。』と思いながら睡魔に襲われ目が覚めたら4時過ぎ。どう考えても臨済義玄のせいたが、何だか良く判らないダメージで一日使い物に成らず、寝てばかりいた。小学生の時の、遠足ではしゃぎ過ぎた翌日の感じ、といえなくもない。



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