被写体から陰影を排除することにより、写真や西洋画にない、浮世絵やかつての日本画の画面構成上の自由を手に入れようと始めてから数年経つ。背景が平面だろうと配する物に陰影がなければスーパーのチラシのようにはならない。その試みの一つが、赤富士は後ろにあるにも関わらず、北斎が見上げている作品である。古来背景が主人公の心象を現す手法は日本画には用いられてきた。早速試みてみた。ところが先日、片岡球子の作品に似たような作品があるのを知った。私の場合は後ろにあるのに見上げている、というのが面白いと思ったので、北斎作品と判れば何でも良く、仰ぎ見るには赤富士かな?それだけである。違いといえば私の場合、片岡作品のようにフレームで分けず、あくまで同一空間に居ることが肝心ではあるけれど。知ってしまえば廃版にしよう。 それにしても、かぶった、と言っては失礼かもしれないけれど、それがよりによって〝落選の神様”片岡球子画伯だ、というのは満更ではない。写真作品で片岡球子にかぶるなんて、なかなかあることではないだろう。