写真の創作上の自由を得るため陰影を排除しよう、と思った時、何が躊躇させたかというと、立体を制作するということは、陰翳を作り出すことに他ならない。良かれと思ってやってきたことを否定することになってしまう。しかし、立体として制作した人物を、私にはこう見えている、というところまで表現するには、立体作品だけではどうしても届かず、創作上の最終形態は写真作品となるので飲み込んできた。 90年代、廃れたピクトリアリズム写真技法に夢中になったことがあったが、晩年それまで制作してきた作品をオイルプリント化して終わるためにやっていたのだ、と思った。ところが違った。陰翳を排除し石塚式ピクトリアリズム、私の大リーグボール3号だ。もういい加減止めてくれよな、と思ったがこれも違った。 鎌倉、室町時代の人物に陰翳を与えよ。一休禅師の御託宣である。