蘭渓道隆を最初に興味を持ったのは、国宝の頂相が、技術的に日本ではなく、中国で描かれた説があったほどの説得力に圧倒されたことが一番だったが、唯一生前に描かれているし、本人の賛まで書かれている。これが実像でないという理由がない。ところがだとすると、これが正面を向いたなら、と考えた時、納得出来る作品がなく、全国には噂話だけで作られた、あるいは噂話さえ聞かずに作られたような像まであって、これは自分で作って360度見てみたい。これが最初であった。 法然開宗850年の今年、大きな法然展があったが、観に行かなかった。法然の最古の肖像画が実像だと想定した場合、おそらく私とは意見を異にする作品しかないだろう、と思った。『ミステリと言う勿れ』の第一話で菅田将暉が語った〝真実は人の数だけあるが事実は一つ“に納得させられた。なので歴史に残る他人の作った像を見て、あの顔が正面向いてこんな顔になるかよ、なんていわず、私なりの真実だけに集中することにしている。
蘭渓道隆