どういう訳がブログに登録済みの画像しかアップできないのでフェイスブックとインスタに一休の寝顔をアップしたが、これは目を開いている一休の目に粘土を乗せて『一休和尚酔臥図』の一カットのために加工したのだが、この方法なら既存の首を使って『往生図』が作れる訳だな、と。まあそんな姿は三島由紀夫を汚屋屋の姿で死んでもらったりまでしたのて、もう充分だろう。 例によって過剰になりがちで、胸元に留まるカラスは余計か?とも思ったが。初鴉は正月の季語であり、一休はカラスの一声で悟りを開いたともいう。連作の一作、竹竿のしゃれこうべにカラスがまとわりついていたらどうか?と、正月の頃のカラスはどういう状態か調べたら初鴉は正月の季語と知り、悟りの話も知った。何より〝門松や〜”の門松を配するのはなんともダサいな、と思っていたので、渡りに舟というやつである。こういう偶然は何故か起きる。なんで竹竿に掲げる骸骨にカラスを思いついたのだろうか?新鮮な、カラスに狙われる価値がある骸骨ならともかく。風狂の僧一休でも、さすがに正月に血生臭い骸骨を持ち歩かないだろう。『一休和尚酔臥図』は田村写真の田村氏がプリント時に声を挙げて笑ったなら、私の代表作になる可能性もある。