英語道(トラスト英語学院のブログ)

トラスト英語学院(長野県伊那市)塾長。英語指導や自身の英語学習雑感、趣味のランニングと筋トレについて綴ります(^^)

節分

2014年02月03日 | 閑話
今日は節分。後厄の私は、朝5時に起床し、近くのお寺で行われる節分会大護摩修行に参加してまいりました。本堂で焚かれる護摩の火を見て、心が奇麗になった気がします。

先ほど、家族みんなで豆まきをして、邪気を追い払いました。明日は立春。いよいよ春ですね!



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『蜜柑』と『檸檬』

2014年02月03日 | 指導現場にて
土曜日は、教材研究に没頭しました。高校入試の国語を12題ほど解き、授業をイメージしながら指導ポイントをまとめていきました。

さて、その中の一題が芥川龍之介『蜜柑』でした。こんな一節が出てきます。
「或得体の知れない朗な心もちが湧き上ってくるのを意識した」「私はこの時始めて、云いようのない疲労と倦怠とを、そうして又不可解な、下等な、退屈な人生を僅に忘れる事が出きたのである」

これを読んだ時、梶井基次郎『檸檬』の冒頭部分を思い出したのは言うまでもありません。なぜなら、私が最も崇拝する短編小説が『檸檬』だからです。
「えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧えつけていた。焦燥と云おうか、嫌悪と云おうか ― 酒を飲んだあとに宿酔があるように、酒を毎日飲んでいると宿酔に相当した時期がやって来る。それが来たのだ。これはちょっといけなかった」

文学通(a literature connoisseur)で知られる同僚の先生に聞いてもその関連性ははっきりしませんでしたが、確かに共通した言い回しです。『蜜柑』と『檸檬』という柑橘系の題名はもちろんのこと、芥川は1892~1927年、梶井は1901~1932年と生きた年代も重なっていますので、どちらかが、あるいは互いに意識していたのかもしれません。そんなことに想像をめぐらすことができるロマンも、文学を読む楽しみかもしれません。


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