高校受験のとき、倍率の関係で直前で志望を下げ、とある高校に合格した生徒がいました。大学受験では同じ轍を踏みたくないと高1から勉強を頑張り、学年トップクラスを維持していました。昨年、大学受験に挑んだ彼ですが、大学受験独特の雰囲気に飲まれ、止む無く浪人の道を選択し、捲土重来を期すことになりました。
その時の彼からのメールです。
「3年間、誰にも負けないくらい頑張ってやりましたが、現実は現実でした。この結果には自分なりに様々な反省点が浮かび上がってきます。
やはり、本気になっていなかったのではと。死ぬ気になってやっていなかったのではと。
自分はまだまだ未熟だなと感じさせられます。
今現在、泣いてばっかりで無力感しか感じられず、はっきり言って死にたいくらいです。
これから先、浪人生活が待っていますが、希望を捨てず、前を向いて志望校に向けてかじりついていきたいと思います」
浪人してからの様子が気になり私からメールをしたこともありましたが、そのメールは戻ってきてしまいました。大学受験で納得のいく結果を出せてあげられなかったのは事実だったので、「アドレスを変えてしまったのかな?」と切ない気持ちだけが残りました。
今年の受験も終わり、彼のことが脳裏をかすめました。いい結果が出せてればいいのだが・・・。そんなことを思っていた昨日、突然、「こんばんは!」という挨拶と共に、彼が塾舎に顔を出してくれました。
話を聞けば、浪人してから携帯は解約。予備校の寮に入って勉強と本気で向かい合っていたとのこと。自分をギリギリまで追い込んでいる姿が想像できました。そして、浪人中にいろいろ考えて、理系から文転。教師という新たな、そして確固たる目標ができたとのことでした。そして、昨年不合格だった大学に、見事合格を果たしたのです。
丁寧な言葉遣いと謙遜する姿は、高校時代の彼とまったく変わっていません。しかし、その顔には、明らかに自信がみなぎっていました。そして、すでに次の目標を定め、その先にあるものを見つめている視線。これこそ、大学受験を通して培われるべき姿なんだと、改めて感じました。
「後輩たちに差し入れです」と、彼の手にはレジ袋いっぱいのアメが入っていました。そう、彼も塾で勉強していた時、先輩から差し入れられたアメを口に頬張りながら頑張っていたのです。そのことを忘れずに気持ちをつなげてくれた彼の姿に、とても感動しました。
「浪人すれば受かる」
これは迷信です。残念ながら、浪人しても自分と向き合えず、周りに流されダラダラと過ごしてしまい、変われないままに受験を迎え、現役時代と似たような結果しか残せなかった生徒を何人も見てきました。
結局のところ、チャンスを活かせるかは本人次第。自助努力できる人間を育てられる指導者にならなければ、気持ちを引き締めています。