四方源太郎日記(京都府議会議員・綾部市選挙区)

これからの綾部のために、さらなる「挑戦」を!

常任委員会の管内視察(いねタクの取り組みなど)

2024年11月12日 | 京都府議会

12日㈫一泊二日政策環境建設常任委員会(宮下友紀子委員長)管内視察に参加した。朝、府議会棟からバスに乗り、丹後へ。

 伊根町の舟屋の見えるあたりで昼食を食べた。伊根町に行くのは久しぶりだった。調べてみると2019年のGW以来だろうか?

参考:2019年4月30日付blog「ゴールデンウィークの中盤から後半へ」

 平日にもかかわらず多くの観光客がおられて驚いた。「足立」ナンバーで東京からレンタカーで来ておられる外国人もあった。

 午後伊根町役場に行き、上山富夫副町長の挨拶をいただいた後、予約型乗合交通「いねタク」の取り組みを調査した。8月の常任委員会で、大学教授の参考人からこの事業の話を聴き、興味を持っていた。

参考:2024年8月20日付blog「少子高齢化社会における地域公共交通」

 改めて説明を聴き、これは良い取り組みだと感心した。電話やWeb、また「いねバン」という伊根町独自のネットシステムを使って予約(1週間前から30分前までに)し、1運行は300円(小人・障害者は半額。回数券だと200円)で年末年始以外、毎日7時45分~21時まで運行している。

 バス年度という10月~翌年9月の集計だと、今年度は15069人の利用があり、利用は伊根町内のみだが、これを車両4台、運転手4人(雇用)で回しているが4人では足りなくなっており、来年度は増員を予算要求したいとのこと。

 運送収入は年320万円ほどで、経費は2000万円弱かかっているので1700万円弱は町の持ち出しだが、過疎債や国や府の補助金を利用して、実質の町の負担は年に500万円ほどだそうだ。(50代の課長補佐級の町職員の派遣人件費は別途。システムの維持費は年に200万円ほどが経費に含まれている)

 面積が広い綾部市では単純に同じようにはいかないが、この方法は「夜の公共交通」に活用できないかと思った。

 活動車両は全て電気自動車太陽光発電を車庫の屋根代わりにしておられ、これは三協アルミと伊根町が共同開発された商品で、屋根だけでなく脚の部分も国の再エネ補助の対象になるようになっているそうだ。綾部駅や高津駅の駐輪場に使えないか?と思った。

 伊根町は人口2000人弱の小さな町であるが、町の職員さん達は「なければ作る」「ないものねだりではなく、あるもの活用」という積極的な考えの優秀な方々がおられる印象を持った。それは町長の指導力によるものだろう。

 

 続いて京丹後市丹後町へ。山陰海岸ジオパークの取り組みを視察した。

 旧丹後町役場平井公彦丹後広域振興局長らから話を聴いた後、てんきてんき丹後や大成古墳群、郷村断層(樋口地区)などの現地を視察した。

 京丹後市内に宿泊。


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自民党京都府議団、北陸新幹線ルート再考を求める要望を知事に

2024年11月11日 | 京都府議会

11日㈪電車で府議会へ。12時半からの議員団会議を経て、13時15分から本会議。決算議案等を可決して長かった9月議会が閉会した。

 12月2日から12月議会が始まる予定で、今回は一般質問に登壇することになっている。

 明日は朝から政策環境建設常任委員会の管内視察があるため、夜は京都に泊まった。

 閉会後の議員団会議で代表幹事から説明があり、「北陸新幹線整備に係る要望書」自民党府会議員団として26名の所属議員全員の連名で西脇知事に提出することについて、了承を求める提案があった。

 現行の小浜京都ルートの実現に対する反対や疑問を示し、ルートの再考を国に強く求めるというのが「要望書」の趣旨である。

 これは毎年の次年度予算に対する要望書と合わせて、「補足資料的」な意味合いで添付するという説明だった。

 それに対しては全く異論が出されず、全員一致で「要望書」の提出が決まったので、その後、議員団を代表して団長、代表幹事、政調会長、北部府議代表が西脇知事に下記の「要望書」を提出した。

 北部の6名の府議は9月末頃からこの件について「要望書」の提出を協議してきており、当初10月初旬に北部府議としての「要望書」を提出する予定だったが、議員団全体での「要望書」も考えたいという話が出てきたため、総選挙も挟んでこのタイミングでの提出となった。以前に作成していた北部府議での「要望書」も今回、合わせて提出された。

 

■中野国交大臣は早期の説明を!

 私は以前からこのブログにも書いているように、北陸新幹線の現行ルート(小浜京都ルート)は水源や地下水等の環境問題、ヒ素を含む大量残土の処理、美山町や京都市などの文化・観光・商工業への影響、府民の反対、京都府の多額の費用負担による財政圧迫など、様々な理由で推進は難しいと考えている。

参考:2024年8月7日付blog「北陸新幹線、敦賀以西ルートの問題点」

 9月議会の政策環境建設常任委員会の質疑の中では、委員長に対して「国交省からの説明を委員会で求めるべき」と提案しており、「丁寧な説明」という言葉だけを繰り返し、頑なに民意を拒む中野洋昌国交大臣には、ぜひ府議会の委員会の参考人としてお越しいただきたいさらに要求していきたい。

※参考:京都新聞2024年11月14日付【初入閣した京都府出身の国交相、北陸新幹線延伸は「小浜ルート」を維持の考え「丁寧に説明する」】

 その際、中野国交大にはB/C(費用対効果)の算出根拠をまずはしっかりと示していただきたい。

 

■「リダンダンシー」は後付けの言い訳

 最近になって急に北陸新幹線を「東海道新幹線のリダンダンシー機能」と言い始めているが、本来「東海道新幹線のリダンダンシー」はリニアだったのではないか?

 北陸新幹線を「リダンダンシー」とするのであれば、どれだけの本数を北陸新幹線経由で東京駅~新大阪駅に直通運転させる計画であるのか?も明確にするべきだ。

 「リダンダンシー」が後付けの言い訳でないのならば、空席でも東海道新幹線並みに、日頃から北陸新幹線を走らせておくべきだ。現在は東京駅~敦賀駅の直通は1時間に1本程度。

 「リダンダンシー機能」を異常に数値に盛り込んで、無理やりにB/Cを1.0以上にしようというのが国交省の考えだろうが、それを財務省がOKするのかも確認の上での提案にしていただきたいと思う。

 また、現行の小浜京都ルートによって起こりうる最悪想定の検討もしっかり行っていただきたい。「シールドトンネルでは地下水はトンネルに入ってきません。地盤沈下は起こりません」といくら言葉で言われても、現実には地下水の枯渇や地盤沈下が発生している。

 「最悪のことが起こった場合にどう復旧や補償をするのか」を明らかにしていただきたい。「起こらない」と言うのなら、どんな補償でも約束できるはずだ。

 

■米原ルート、京都北部ルート等の検討を

 現在と将来の京都府民が抱く不安や疑問に真摯に答え、説明した上での着工でなければ、私は納得するわけにはいかないと思っている。

 その状態で京都府議会に予算案が提案されても賛成できないと考えている。

 今回の北陸新幹線敦賀以西ルートの進め方は、私たち京都府議会に対していまだ国から一切の説明がない。こんなに地方を無視し、負担だけ押し付けるやり方には大いに憤慨している。

 早く現行ルートを見直して、米原ルート、京都北部ルート、また別のルートなど、現実的なルートを決定するべく、我々、地方の声を聴いて進めていただきたい。


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丹波市議選の陣中見舞いへ

2024年11月10日 | 選挙

10日㈰今朝も良い天気。

 午前中グンゼ集蔵で開催されていた「フォト十人十色」写真展へ。綾部市剣道連盟の柴田仁実会長が作品を出しておられるということだったので、拝見しに行った。

 「フォト十人十色」(上野仁会長)というグループは今年発足し、綾部市と舞鶴市の写真愛好家が毎月集まって作品の批評をしておられるそうだ。

 綾部バラ園のバラもきれいに咲いており、観光バスも入ってきていた。

 

 午後後藤光市議、万事屋山さんの山下哲也代表と兵庫県丹波市の旧市島町へ。

 まずは前回のあやべMBTミーティングにお越しいただいた臨床心理士の羽生さつきさんがご夫婦で経営しておられるイタリアンレストラン「テッラドーノ」で昼食。

 廃園となった保育園を活用してレストランになっている。遊具などが残っており、家族連れがたくさん来ておられた。

 羽生さん現在も児童の心理的な相談に乗っておられ、また児童相談所の職員経験もあるので、児童虐待のことなどについて意見交換もした。

 

 昼食後には丹波市議選に立候補されている「大垣利明」候補の事務所を陣中見舞いに訪問した。大垣候補は婿養子に行かれて姓が変わっているが、旧姓は飯田さん二つ上の綾部出身の先輩。高橋輝市議の同級生で、最初の頃の市議選には応援に来てもらったこともある。

 サラリーマンをしながら子どものサッカーコーチやPTA会長などを務めておられ、今回、地元の市議が引退されたこともあって、「選挙に出てみないか?」と声がかかったそうだ。

 綾部にゆかりのある方が政治の世界で働こうと地元のために立ち上がられたことは嬉しいことだ。

 綾部市と丹波市は府県の境はあるものの距離も近く、人の行き来も多いし、同行した後藤光市議は市議になる前に丹波市こども・若者サポートセンターのスタッフとして勤務しており丹波市での人脈を綾部とつなげようという活動もしている。ぜひ当選していただいて、綾部市と丹波市や京都府と兵庫県との連携もさらに深まればと思っている。

 丹波市の皆様のご支援をよろしくお願いします!また丹波市にお知り合いがおられれば、ぜひ「大垣利明」候補に1票を!とお願いしていただければ嬉しいです。

 18議席に20人が立候補する少数激戦で、知名度の低い新人候補にとっては厳しい戦いになっていると思います。どうぞよろしくお願いいたします。

 丹波市では同時に市長選、また兵庫県知事選も行われています。共に現職を含めて候補者が多く、激戦のようです。

 

 18時半からふしみやにて、顧問として綾部市武道協会(西村正樹会長)役員会と懇親会に出席した。

 日本空手協会の綾部支部長綾部市武道協会の初代会長でもあった四方憲司さん先日、急逝され、代わって大槻篤典さんが武道協会の役員に就いただいた。


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5年ぶり、京都あやべ会の総会

2024年11月09日 | 議員活動

日㈯両親と一緒に、9時56分の特急で京都へ。

 京都あやべ会(村上晨一郎会長)の総会に出席するため鴨川のそばの東華菜館へ。コロナでしばらく総会ができておらず、5年ぶりの開催だそうだ。東京あやべ会の北井久美子会長にも駆けつけていただいていた。

 四方宏治会計監査からの決算報告、田中彰寿事務局長からの役員改選報告も滞りなく進められ、役員改選では新たに若手の幹事さんも増やしておられた。

 総会の後講演「宇治よもやま話」と題して、上林春松本店の上林春松代表が講師を務められた。上林家はそのルーツが綾部市の上林地区にある。

 数年前に亡くなられた第14代春松さんには上林で講演をしていただいたこともあるが、第15代の息子さんにお目にかかるのは初めてだった。

参考:2013年11月17日付blog「上林家の子孫が450年ぶりに」

 お茶や宇治茶の歴史、上林家のルーツ、上林家と織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の関係、綾鷹の由来など、詳しくお話しいただいた。

 上林家は清和源氏の一族で、丹波の豪族・赤井氏と同族だったが、後に分かれて対立し、室町時代には上林を拠点としていたようだ。織田家の家臣であった高田豊前守、明智光秀らが丹波侵攻を進める中で勢力が衰退し、上林城の城主は最後は切腹して綾部から上林家は離れていったものと思われる。

 その前後から宇治でのお茶づくりをしていた記録が残っており、上林を去った後は本格的に宇治で茶生産に携わった。

 室町末期の当主・上林久重信長が松永久秀を信貴山城に攻める際の道案内として功績があり、また四人の息子のうち、長男・久茂は本能寺の変の後、家康が堺から木津川、信楽、そして伊賀越えで岡崎まで逃げる際に木津川から信楽までを道案内したことで家康にも厚く信頼されたそうだ。

 また四男・竹庵関ヶ原の戦いの前哨戦であった伏見城の戦いで戦死したが、その功績を家康に称えられた。

 春松は三男であり、次男の味卜家と共に、久茂家、竹庵家に次ぐ役割を与えられて幕末まで続き、現在も上林春松本店として残っている。

 江戸時代に上林家は茶頭取として、将軍家にお茶を献上し、それは「御茶壺道中」として盛大に運ばれたそうだ。

 「ずいずいずっころばし」という童謡「御茶壺道中」のことを歌ったもので、将軍様の大切なお茶を運ぶのに子どもが粗相でもしたら大変なことになる道中には相当な緊張感が漂っていたようだ。

 日本コカ・コーラと上林春松本店が共同開発されているペットボトル飲料「綾鷹」の名前上林家が江戸時代末期に「玉露」を初めて作った(諸説あり)時の販売銘柄として名付けられたものだとのこと。

 「綾鷹」が「綾部」の「綾」からきているかどうかは、当時の当主でないと分からないことだと先代の春松さんもおっしゃっていた。

 良いお話を聴かせていただいた。

 

 山崎善也綾部市長の近況報告と乾杯で懇親会が始まった。中締めは黒田清喜副会長の挨拶で締めくくられた。

 同級生の原田孝毅くんとも再会した。彼はいつも丑寅の会にも参加してくれているので、またやろう!と話をした。

 これからも京都あやべ会が末永く続くことを願っています。


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京都府北部建設業協議会と建設交通部の意見交換会

2024年11月08日 | 議員活動

日㈮朝8時過ぎ家を出て京都へ。10時半から京都府北部建設業協議会(会長:森重敬京丹後建設業協会長)と京都府建設交通部の意見交換会に同席した。

 建設交通部からは林龍夫技監(土木)、西村祥一技監(都市・建築住宅)、渡邉裕幸理事(指導検査課長)など総務部からは野木孝洋入札課長らが出席された。綾部建設業協会からは吉田博美会長、渋谷良作副会長、川北達哉副会長が出席されていた。

 要望事項は9項目にわたり、年々増えている。私は「以前からの要望はそろそろ解消してほしい」と述べ、特に舗装工事の入札は綾部以北の業者だけで入札できるように「公契約大綱」の改正も急いでやってほしいと要求した。

 また、「建設業の人材確保」の点で、福知山高等技術訓練校にものづくり基礎科があるが、以前から「その教育が土木や建築の現場での仕事の基礎になっていない」という意見を聴く。「高等技術訓練校は商工労働観光部の所管ではあるが、建設交通部からも実態に合った教育と人材確保につながるように話をしてほしい」と要望した。

 

 12時半から議員団会議に出席。12月議会では、久しぶりに一般質問に登壇することになった。

 議員団会議の後は打ち合わせなどしてから綾部に戻り、夜は綾部市消防法被会(平野正明会長)の懇親会に出席した。

 隣りに川端貞男さんが座られており、お聴きしたら今日が90才の誕生日とのこと。平野会長から卒寿のお祝いをもらわれていた。

 こうやってお元気で、こういう場所に出て来られることは素晴らしいことだと思う。「口上林には他にも90才でお元気な方はおられますか?」と聞いたら、同級生は10人ほどはおられるということだった。田舎の人は畑仕事などで、日ごろから体を動かされるので元気なのかもしれない。

 二次会にもお付き合いした。


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「もしトラ」が現実に

2024年11月06日 | 論評・研究

日㈬9時から京都府中丹広域振興局の担当者に来てもらって、来年度、演劇ワークショップを企画することを相談。


 アメリカ大統領選挙はトランプ氏が圧勝し、大統領に返り咲くことになった。

 バイデン大統領が不出馬を決めてハリス副大統領を候補にした頃はハリス氏優勢だと言われていたが、結果はトランプ氏勝利だった。

 ハリス氏は東海岸、西海岸の大都市で勝利したが、トランプ氏は地方都市で圧倒的な強さを見せた。

 

 アメリカが一部の富裕層に富が集中していることがこの結果につながっているように感じたが、似たような図を最近見たなと思った。それは自民党総裁選の石破氏、高市氏の党員得票を示す地図だった。都市部で高市氏が勝ち、地方で石破氏が勝っている。

 トランプ大統領と石破総理は案外、共通点があるのかもしれない。トランプ大統領も地方重視、農業重視で日本に輸入を迫ってくると、日本の農業は苦しい立場に置かれるかもしれない。

 「もしトラ」が現実となり、これから世界がどう変わるのか、まだよく分からない。が、バイデンーハリスの現体制継承よりは何か新たなことが起こる予感はある。

 石破政権はすぐには安定しないため、アメリカがすぐに日本と本格的に向き合うことはなく、アメリカの関心はロシア、中国、中東に向いているのではないだろうか。

 日本はそのうちに態勢を立て直すことが重要だ。

 

日㈭午前中亀岡警察署(普光江邦署長)に現地監査へ。亀岡市は京都市内ほど犯罪傾向があるわけでもなく、綾部市のように落ち着いた町だ。

 防犯カメラ設置の強化や自転車ヘルメットの着用に力を入れておられるそうだ。


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皇居東御苑へ

2024年11月04日 | 家族

11日㈪東京三日目。午前中は池袋へ。

 には江戸城(皇居)へ。ここは無料で入場できるが、江戸城皇居東御苑に入るのは初めてだった。三方から入れる門があるようで、今日は東京駅近くの大手門から入った。

 警察官による荷物チェックを受けると誰でも入場できる。外国人観光客が多く並んでおられた。徳川将軍もここを通ったのかと感慨深く門をくぐった。

 江戸城の中は都心部とは思えない広々とした敷地が広がっていた。

 二の丸から一の丸に向かう「汐見坂」からは昔は海を眺めることができたそうだ。今の新橋から皇居前広場の近くまで日比谷入り江が入り込んでいたとのこと。見た目より結構急な坂だ。

 一の丸に上がると開けていて、右手に天守閣の台座跡が見えた。江戸時代初期の50年ほどは天守閣が建っていたそうだが、火災で何度か焼失し、やがて「不必要」とされて、210年は天守閣のない城として存続したとのこと。

 天守台から見下ろす広場昔は「大奥」があった場所だそうだ。

 最後に三の丸尚蔵館を見学した。「公家の書ー古筆・絵巻・古文書」と「皇室の美術振興ー日本近代の絵画・彫刻・工芸」の展示がされていた。

 写真撮影はできなかったのでお見せできないが、藤原定家や紀貫之の自筆書など貴重なものが数多く展示されていた。

 「皇室の美術振興」では宮内庁が買い上げた絵画等が展示されていたが、その中に鹿子木孟郎が昭和7年に描いた油彩「大台ヶ原山中」(帝国美術院第13回美術展覧会出品)太田喜二郎が大正3年に描いた油彩「並木道」(東京大正博覧会出品)が並べられていた。

 鹿子木孟郎の弟子の有道佐一(綾部市東山町出身)昭和3年から昭和10年にパリに留学するまで鹿子木塾の助教授兼幹事を務めており、ちょうどこの「大台ケ原山中」が描かれた頃は鹿子木の元で働いていた。この絵にも有道の手が入っているのかもしれないなと思った。

 また有道が生涯書き続けた点描画の影響を与えたとされるのが太田喜二郎であり、太田の妻は有道の近所から太田に嫁いでいる。太田も綾部とは深い縁があり、この二人の絵がここに並んでいることに大きな感慨を覚えた。太田の「並木道」は有道の作風と同じ点描画で「筆触分割」の技法が用いられていると説明があった。

 

 最後大手町の新丸ビルで遅めの昼食を食べて、東京駅へ。

 東京を15時48分発の帰りの新幹線は少し遅れたが、20時前に綾部に帰ってくることができた。


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大学祭へ

2024年11月03日 | 家族

113日㈰午前中は靖国神社と渋谷へ行き、午後は旅の主目的である小源太の大学祭へ。

 大学祭に行くというのは自分が大学生の時以来だと思うので、30年ぶりくらいか。構内に入ったところではサークルの発表コーナーもあり、ちょうど「縄跳びしながらダンス」する?何とかという競技が披露されていた。

 大学のメインストリートにはサークルやゼミによる飲食の出店が立ち並び、学生の活気あふれる声が響いていた。

 中庭の舞台のところでは、息子さんがダンスサークルにいるお母さんと、たまたま近くにいたファンの女学生との会話が耳に入ってきた。

「わたし初めて見に来たの。息子が四年生でどこかのグループにいるはずなんだけど…」

学生「そうなんですか!どのチームですか?」

「分からないかしら?服は白にピンクが入っているはずなんだけど…一度しか洗濯させてもらったことがなくて…」

学生「10チームくらいが出るんで分からないですけど(スマホで写真を調べて)、ワンチャン、最初のグループかも!」

「ええっ!」


 お母さんは熱心にダンス演技を見つめ…こちらを振り返られると目には涙が…。息子さんのダンスを初めて見た感動からか。

学生「息子さん、見つかりました?」

「(涙ぐみながら)いなかったと思う~」

 

 それでその場を離れたが、きっと息子さんのダンスでは大感激されたことだろう。

 続いて、小源太が所属するお笑いサークルの舞台がある校舎へ。ここも各教室で様々な展示や出し物が行われていた。

 14時に開場だったので、その10分ほど前に行ったら行列ができていた。後ろにも長い行列ができた。並んでいたら、小源太と相方の脇阪くんが出てきたので声をかけた。実物の脇阪くんとは初めて出会った。

 後ろに並んでおられた男性が「小源太くんのお父さんですか?うちの娘がコンビを組ませてもらってます」と声をかけてくださった。親しくしていただいている先輩のお父さんのようだった。

 議員をしているとか、京都から来ているとか、私のこともすでに知っていただいていた。話していると娘さんが来て「こちらは小源太くんのお父さん」と紹介されると「えーっ、ホントですか?」と驚かれた。

 「小源太」という名前をインパクト重視で付けた効果だろう。

 小源太は大学生になって自己紹介する時に、自分の名前を言うだけでちょっと笑われ、父親が「源太郎」だと言うともっと笑われ、祖父が「八洲男」だと言うと「なんで『源』が付いてないんや」と突っ込まれ、そのまた父親が「源太郎」だと言うと驚かれると言っていた。

 

 会場は立ち見が出るほどの一杯で、小源太たちはトップバッターで出してもらっていた。大学祭最終日「午後の部」の出演者はほぼ全員三年生だったのに、唯一の二年生コンビだった。

 初っ端で場が温まっていない中、「名文」というネタの漫才は、よく考えられていて面白かった。今の大学生が「俵万智」を知っていれば、もっと笑いがとれたのかもしれない。文学好きの小源太が考えたのだろうと思うネタだった。

 小源太が「突っ込み」役だということも初めて知った。もう少し落ち着いて突っ込めば、もっと面白くなるのではないかと思ったが、相方の脇阪くんの声がよく通るようになっていて一番最初の新人ライブの動画に比べるとずいぶん成長していた。

 小源太はMCも務めて引退する先輩に突っ込んだり、皆さんに愛され、可愛がってもらっているようで良かった。

 お笑いサークルはたいていは三年生の大学祭で引退するようで、小源太もあと一年は好きなことをやって、その先は就職活動を経て独り立ちしてくれるだろう。

 

 夕方は表参道から歩いて原宿に移動。「表参道」というのは明治神宮への「参道」という意味なのだろうか。たくさんの「明治神宮」と書かれた提灯が吊るされ、大勢の観光客が歩いていた。

 原宿もすごい人だった。子ども達はここでポテトやイチゴ飴などを食べてお腹いっぱいだと言うので、飯田橋の駅まで戻って一人で近くの居酒屋で飲んだ。

 店を探そうと歩いていたら、どうしても入らないといけないような店があった。

 そういえば、今年の1月に飯田橋で行った居酒屋も、同じく入らなくてはいけないような名前だった。飯田橋には何か縁があるのだろうか?

参考:2024年1月26日付blog「劇団ふぁんハウス第44回公演【ふたりのゆめ】」


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三連休は東京へ

2024年11月02日 | 家族

112日㈯~4日㈪

 秋の三連休。半年ほど前、今年は家族で小源太の大学祭に行こうかとホテルだけ予約していた。

 お盆に岸田総理が退陣表明され、これで秋に総選挙が重なったら行けなくなるなと思っていた石破総理の早い解散で行くことができた。

 その早い解散を石破総理が責められていた時、私には何の関係もないのだが自責の念(笑)に駆られていた。

 

 朝早く京都に出て、新幹線で東京へ。豪雨で新幹線が2時間5分遅れたが、2時間遅れると新幹線特急券は払い戻しされるそうだ。急ぎの旅でもないので良かった。

 綾部の雨も気になって情報をチェックしていたが、夕方には峠を越え、特に問題が起こらずそれも良かった。東京は23時頃まで雨が降ったり止んだりで、初日は飯田橋駅と水道橋駅の間にあるホテルに入って終わりだった。

 

 二日目は朝から晴れ。東京も休日の朝は車が少ない。

 ホテルから歩いて靖国神社を参拝。妻が一度も行ったことがなく、行ってみたいと言うので。

 靖国神社の隣りにある日本武道館には大行列ができていて、調べてみると第72回「全日本剣道選手権大会」が開催されていたようだ。

 その後は渋谷へ。人が多い。ハチ公は外国人観光客に人気だった。

 続きは改めて…


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日本一の綾部中学校「ライブオリンピック」

2024年11月01日 | 教育・子育て

111日㈮綾部市総合文化祭の開会式に出席した後は綾部中学校へ。

 9時45分から「ライブオリンピック 日本一咲き誇れ!~笑顔あふれる文化の祭典~」が開会された。

 昨年まで行われてきた「合唱発表会」を今年は「ライブオリンピック」に変えたい!という生徒たちからの提案で、「スポーツオリンピック」に続いて、子ども達が主体となる新しい行事に生まれ変わった。

 

 20分ほど前には生徒はすでに入場しており、カウントダウンのタイムがステージに表示されていた。音楽も流され、ムードが高まり、子ども達も元気よく盛り上がっている。「合唱発表会」とは明らかに雰囲気が違う。

 「スポーツオリンピック」同様に、校長先生の挨拶や先生たちがマイクで指示することは一切なし。「開始できないので、自分の席に戻ってください」と司会役の生徒が促し、先生方は何人かの生徒に声を掛けて席につかせておられた。

 宇野日菜子ライブオリンピック委員長が開会挨拶し、「ライブオリンピック」に至った経緯を説明した。

 生徒たちは「合唱発表会では自分らしく輝けない人がいるのではないか?」「クラス合唱はクラスの差が出るのではないか?」などと考え、合唱だけでなく、様々な文化系発表を生徒が自発的に行えるよう有志サークルの出演者を募集することにしたとのこと。

 それに応じたバンド2組、ダンスやパフォーマンス2組が出演し、中学校の「文化祭」と思えないほどの盛り上がりを見せていた。

 サークル発表の司会は3年生の仲良しトリオで。

 3年生バンド「ののかちゃんの日常」椎名林檎「丸の内サディスティック」などを披露。この曲は小源太がギターを弾き始めた頃に歌っていた曲だったなと懐かしかった。温二郎と仲の良い同級生の女の子たちのバンドグループだった。

 2年生1年生バンド「しゃもじ」男性ボーカルが可愛らしく、MONGOL800「小さな恋の歌」などを披露。これからの成長が楽しみなグループだ。

 3年生の元気な男の子たち中心のグループ「9割イタメモノ」は、ボイスパフォーマンスとお笑いを一緒にしたようなパフォーマンスで会場を走り回って元気に盛り上げていた。

 途中からはみんなを立ち上がらせて…。

 サークル発表のトリダンスグループ「チームデッカちゃん」高校生よりも上手いのではないかという圧巻のダンスを披露してくれて、会場は大盛り上がりしていた。

 これは「中学校の文化祭」ではなく、まさに「日本一の笑顔あふれる文化の祭典」になっていた。こんなことができる中学校は日本にはないだろう。

 綾部中学校の子ども達は有言実行「綾部中学校を日本一の学校にしてくれた」と感動した。

 好きなことをやることがいかに大事なのか?大人が押しつけるのではなく、子ども達自身がやりたいことをやり遂げたという自信は、綾部中学校全体の力を向上させていくだろう。

 そして、この「ライブオリンピック」の裏側では先生方がうまく生徒たちを乗せて、成功に導いて下さっていることに感謝いたします。雨の中、傘もささずに駐車場係をしていただいていた先生方もありがとうございました。

 

 サークル発表の後合唱部の発表。会場のムードは少し落ち着き、卒部する三人の三年生の合唱は感動的だった。

 

 そして、午前中最後の演目「PTA合唱」。今年は保護者と先生あわせて70名ほどの大きなPTA合唱団ができた。

 コロナ禍でこういう活動が一度はなくなったが、昨年、ある1年生の保護者からPTA会長の私にメールが届いた。「私は母から合唱の楽しさを教わり、これまでも合唱で良い思い出をつくってきました。だから皆さんともそういう思い出を共有したい。PTA合唱を復活させませんか?」と。

参考:2023年11月7日付blog「PTA合唱」

 それで昨年、PTA合唱を復活させ、今年も引き続いて文化活動委員長さんにお願いした。文化活動委員会で曲や練習日を決めていただき、4回の練習を経て今日、「ライブオリンピック」でPTA合唱「君に捧げる応援歌」を披露した。

 後で動画を観てみると、歌う我々と聴く会場が一体となった大変素晴らしい合唱になったと自画自賛している。

戦い続ける君に捧ぐ

君へ届くように 全力注ぐ

いつか辿り着く その時まで

歌い続けるよ 明日もずっと

 うちは末っ子が今年度で中学校卒業で、私がPTA合唱に参加するのはこれで最後となるが、これからも引き続き、綾部中学校PTAの皆さんがこの良い経験をつなげていってほしいと思っています。

 参加したことがない方もぜひ一度、参加してみてください。

 

 午後グンゼ集蔵で開催されている「上垣武士展」へ。

 上垣さん今田町出身綾部高校美術部OB。大阪府在住。長くグンゼに勤務され、今回は郡是製糸綾部本工場に昭和37年に同期入社された郡是製糸三七(みなき)会の皆さんと一緒に開催された。

 綾部バラ園のバラも雨に濡れ、色が映えて良い雰囲気に咲き誇っていた。


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第72回綾部市総合文化祭の開会

2024年11月01日 | アート・文化

1031日㈭朝8時半綾部を出て京都へ。五条通が渋滞していて、迂回してギリギリ10時半からの月例監査委員会議に間に合った。

 10月は9月末の決算状況を聴取するため、会計管理者以下、各部局から直接、報告を聴くことになっている。

 唯一の府立病院である洛南病院の病院管理会計の説明の際には健康福祉部長以下が来られたので「救急対応は府民ニーズが高く、また病院経営をプラスにもしているが、その代わりに当直が必要であるなど、医師の負担は大きい。医師確保の課題への対応は?」と質問した。

 

 明日、本番が迫ったPTA合唱のリハーサルのために綾部中学校へ。入退場の段取りや譜面を開くタイミング、最後の掛け声の練習などを行い、何度か通し練習をした。

 最初はどうなることかと思っていたが、3回の練習で何とか自信を持って歌えるようになった。

 練習の終わりに今日の最後の合唱を録画した映像を観て、声を半分ぐらいの音量で歌う方が良いかと感じた。妻が「輝くんとあんたの声ばかり聞こえる」と言っていたので。

 終了後は事務所に戻って、楽譜にいろいろ書きこんで明日の準備。

 

11日㈮9時からあやべ日東精工アリーナにて、綾部市文化協会(鹿子木旦夫会長)主催第72回綾部市総合文化祭の開会式に出席した。

 今年もたくさんの団体等から作品が出品されている。

 11月1日~3日まで、あやべ日東精工アリーナ(綾部市民センター)で開催されています。9時~18時(最終日は16時まで)。

 11月4日には中丹文化会館にて、12時55分から「芸能発表会」も開催されます。入場無料です。ぜひ「文化の秋」をお楽しみください!

 綾部市菊花展も日東精工アリーナで同時開催中です。

 

 この後は綾部中学校の「ライブオリンピック」へ。その様子は別に書きます。


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