8月9日は6日の広島の原爆投下記念日に続いて、長崎の原爆記念日でした。
毎年この日を迎える度に、「何故原爆投下を避けられなかったのか?」と言いう疑問の念が思い起こされてしまいます。夫は長崎で被爆しましたので、この日のことをよく覚えているようです。「太陽が一瞬のうちに見えなくなって、真っ黒な雲が覆ってしまった!」と・・・
両親はもう亡くなってしまいましたが、兄弟・姉妹5人を含む家族がこれまで原爆症にもならずに生きてこられたのは、奇跡とも思われます。が、いつ何が生じるのか?という不安が消えることはありません。
昨夜の「NHKスペシャル」で、「原爆投下後の初動調査・埋もれた衝撃の事実・・・」を見ました。
※日本全土の67都市に爆弾を落として焼け野原にした後に、さらに広島まで原爆で破滅させる必要があったのでしょうか?
※さらに二つ目の長崎へのプロトにウム原爆は核実験の野望としか思えません。
昨日の報道では、爆心地への初動調査後にアメリカでは「残留放射線は無かったと隠蔽するよう命令されており、日本軍部でも国民の人身の安定を図ろうとして、放射線量が高くないと、うその報告をさせたという。
長崎の爆心地から3㎞も離れた西山地区に、黒い灰が混じった雨が降り、多くの住民が原爆症で死亡したと、言っていました。西山地区は夫が住んでいた地区のすぐそばで、幸いに地形的に直撃を免れたと思われます。
近年「隠された真実」が次第に明らかになり、アメリカでも問題にしてきたようですが、それでも毎年、数か国で核実験が行われているのが理解できません。
「ヒロシマは70年間草木も生えない」とも言われていました。
一番の疑問は、「核兵器禁止条約」が今年の1月に発効されているものの、唯一の戦争被爆国の日本が、条約の批准に賛成していないことです。米国の核の傘に頼り米国に遠慮する必要性があるのでしょうか?