現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

松平容保(かたもり)

2008-06-09 11:22:55 | 会津藩のこと
ついでに、もうひとつ、『会津ほうぎょく館』という
サイトから、「会津藩主松平容保(かたもり)の逸話。

容保は、尾張徳川の分家高須松平家から会津に養子に
はいった。尾張徳川義勝と桑名松平定敬と兄弟になる。
三人は仲が良かったのだが、戊辰戦争ではからずも、
尾張は官軍に付き、敵味方となる。戦後(会津人に
とって戦後とは戊辰戦争後のこと)、明治になって、
三人の兄弟がおち合った。その時、長兄の義勝が容保に
「尾張徳川家を継いでくれと」と話を切り出した。
容保はそれを受けず、黙って帰宅した。後に家臣に
語っていうには「3000人の家臣が亡くなり、残された
者も路頭に迷い、辛酸を舐めることになったのは、
自分の不徳の致すところ。自分だけが、会津を捨てて
尾張に戻るわけにはいかない」と。

その後、容保の孫娘が尾張徳川家に嫁ぎ、その娘婿が
尾張の当主になった。また、同じく孫娘勢津子は
秩父宮妃に、ひ孫は、現在徳川宗家を継いでいる。
すごいことになっているのだ。

「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

一休と虚無僧」で別にブログを開いています。

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殿様扱い

2008-06-09 11:06:50 | 虚無僧日記
「平維茂」を検索して「会津呆ぎょく館」というサイトに
ぶつかった。松平容保(かたもり)のその後の話が
載っていた。幕末最後の藩主であり、朝敵となって
ひっそりと身を隠すようにして過ごされていた時の
ことである。

明治8年、戊辰戦争で亡くなった3,000名の藩士の
慰霊祭が、容保公をお迎えして、しめやかに行な
われた。久々に顔を合わせる主従。慰霊祭の後、
食膳と酒も出された。
食膳といっても粗末なものだった。これでは殿様に
申し訳ないと、家臣どもは、精一杯の金を出し合って、
殿様の前に料理を差し出した。

しかし、宴が始まっても、容保公は箸を付けられない。
もともと寡黙な方である。じっと下を向いておられた
まま。
元家老格の者が、御前に出て、「このような粗末な
物しか用意できずに申し訳けありません」と頭を下げると、
公は「私の膳も皆と同じものにしてほしい」とポツリ。

これには居並ぶ元家臣一堂、涙滂沱であった、と。
私も泣けた。そのような藩主だから皆命捨てて戦った
のだ。わが一族でも8名が戦死している。

私も詩吟の会などでは、私よりはるか年上の方々から
「先生、先生」と呼ばれ、昼は会議室で折り詰めの
弁当をご馳走になる。会員はと見ると、ホール内では
飲食禁止のため、通路や階段に腰を下ろして、助六か
いなり弁当を食べている。「私もみなさんと一緒でいい
ですよ」とは言うのだが、いつも甘んじて受けてしまう。
もう料理は食べ飽きた。虚無僧の私には、おにぎり一つ
あればいい。心痛む。

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平維茂(これもち)

2008-06-09 09:55:07 | 虚無僧日記
朝起会のご本読みで『余五将軍平維茂』の話が出た。
信州戸隠の鬼女退治の伝説で、能や歌舞伎の『紅葉狩』
の主人公だが、正歿年など詳しいことは不明である。

その墓というのが新潟県の三川村にある。ネットで
検索すると出てきた。

『平等寺』境内の『将軍杉』は維茂の墓所として伝え
られ、樹齢1400年、幹周り19mで、屋久島の縄文杉を
抜いて、日本一」とのこと。
「1995年から3年間に渡って、この将軍杉の幹から
“濁り酒”が噴出し話題になった」そうな。
“ヒェー”である。

実は私は40年前、初めて虚無僧の旅に出、新潟県の
新津から会津に向かう途中、ここを通っていたのである。
なつかしく思いだした。三日三晩野宿しながらの旅で
ヘトヘトになって、この平等寺で休んでいると、声を
かけられた。尼寺だった。庫裏に上げていただき、
「ここは平維茂の開基で、平家の郎党(等)を祀ると
いう意味で『平等寺』と名づけられた」というような
お話を聞かせていただいた。そして、「尼寺ですので
泊めることはできないが、せめて」と、大きな握り飯
を三つこしらえてくれた。
それを大事に腰にぶらさげ、炎天下を歩く。一日一個
食べ、三日目には最後のおにぎりが糸をひいてきた。
それでも捨てては罰が当たると思い、無理して食べた。

お釈迦様も最後の旅で出されたキノコ料理を、危ない
と知りつつ食し、それが元で亡くなられた。死を覚悟
して、あるがままに受ける修行である。

幸い私はなんともなかった。以来おにぎりを食べるたび
に平等寺の安寿さんのことを思い出す。私の虚無僧人生
の原点だ。