現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

虚無僧も編笠外す・・・・

2008-06-23 09:26:15 | 虚無僧日記
一日雨。ネットで「虚無僧」を検索していて見つけた。
『親父(爺)日記』。俳句、川柳をたしなむ方らしい。

昨年の8月22日、40゜越す記録が出る猛暑の日だった。
京都清水寺の前で虚無僧をして怒られ、坂下の駐車場
入口で尺八を吹いていた時の写真がアップされていた。

本文に

   暇つぶしに虚無僧さんまでもを含んだ様々な人間ウォッチングができた。

親爺「さすがは京都の虚無僧。あんなに厚着してるのに汗一つかかんとは」
妻 「嘘よぅ、さっき座り込んでタオルで大汗ぬぐっているとこ見たもんね」 
親爺「かぶりもん 取ってか?」
妻 「ええ、ジュース飲んでたもん」
親爺「・・・」  

  虚無僧も汗かくものや清水寺
  虚無僧も汗かいてをり清水寺(宗匠)
  清水の虚無僧汗をかいてをり
  虚無僧も編み笠外す残暑かな

京都の暑さは特別だが、冷房の無い店が多いのも驚き。
座って休む所も、まして野宿する所も無かった。
ホームレスが全く居ないところをみると、条例で規制され
ているのか、公園も河原も腰をおろす所がない。地面に
寝ているとすぐ警備員や警察官が寄ってくるのだ。

立ち通しでヘトヘトの上、猛暑。たしかに天蓋に手甲脚絆
で全身を覆っていれば、見た目には暑苦しそうだが、直射
日光を遮るからか、意外と涼しい。また私は汗はかかない
体質だが、この日はやたら喉が渇いた。自動販売機で缶ジュ
ースを買い、路地裏にはいって人目を避けて飲んだはずが、
しっかり見られていたか。


6/22  雨

2008-06-23 09:25:43 | 虚無僧日記
 雨が降ります 雨が降る
 虚無僧に行きたし 金は無し
 冷蔵庫の中も 食尽きた。

一日為さざれば、一日食さずである。
今日は久しぶりに何も無い一日。
たまっていた仕事に取り組む。

次の公演は、6/28(土)静岡県の蒲原(現在は
静岡市清水区)の『旧五十嵐邸』でライブ。
ヤマハの竹内氏からの紹介で、琴の笹野大栄さん
との共演。そのための楽譜作りがまだなのだ。

毎回、構成を考え、選曲して、シナリオと楽譜を
作成する。それから暗記と暗譜なのだが、覚えられ
ないうちに本番を迎えてしまう。だから、いつも
中途半端な演奏で禍根を残すのだ。

これからは、準備万端早めに整え、暗譜に時間を
かけたい。あと6日。







6/21 一路会の稽古

2008-06-23 09:25:25 | 虚無僧日記
今日は、朝9時から夜8時まで、びっしり稽古。

9月23日(火・祝)能楽堂での『第7回一路会公演』
に向けて、いよいよ練習スタートだ。

まず全員で『調子』。今までのとは違う吹き方を指導
している。かつて明暗38世小泉止山師から「腹の中の
諸々の雑念、妄想、煩悩をすべて吐き出す“気”で」と
教えられた。古典尺八というと、ボーボーとしか聞こえ
ないイメージなのだが、私の気性の激しさもあって、
今回は、能楽堂に響き渡るような爆音で吹奏したい。

加藤護氏は『阿字観』を、高島靖生氏は『紫恋慕』。
こちらは、それぞれの個性を尊重して、人柄が出る
ような吹き方を勧めている。

豊橋から、後藤、森田両氏も見えた。二人ともベテラン。
フレーズの処理、フレーズとフレーズの“間”について
一音一音、逐一教える。ここがプロとアマの違いなのだ。

わが師、堀井小二朗の幻の代表作『竹の韻(ひびき)』
を再現すべく、ようやく楽譜が完成した。声の森氏も
参加して、初めて通して練習できた。能楽堂に向けて
熱が入る。


6/20 地域の集い

2008-06-23 09:25:05 | 地球人類の問題
「地域の集い」といっても、実は、共産党の催し。
中村文化小劇場での『総会』に、前座を頼まれた。

朝は、自民党支持の『朝起会』で、夜は共産党の会に
と変節極まりない。“二極に偏せず”が虚無僧の生き
方などと、自分で言い訳けして引き受けた。

このところ「後期高齢者」の問題で自民党は支持率を
下げ、共産党支持者の増加が目覚しいとか。共産党の
講演もいろいろ勉強になる。300席の会場で、大雨にも
かかわらず、2/3は埋まった。

さてこういう会では、何を演奏しようか、頭を悩ます。
以前、桜の頃だったので「同期の桜」をやったら、会場が
シラーと異様な空気に包まれた。鶴田浩二は“反戦右翼”
なのだが、右翼の広告塔のイメージが払拭できない。


「秋葉原の通り魔殺生事件」をネタに、社会不安を説き、
童謡・唱歌で心を和ませ、最後に、夢と希望を歌った曲
『コンドルは飛んでいく』 を、そして、

「虚無僧は“僧”かい?、いや俗人です。この後は?
『総会』です」と、いつもの軽いノリで締めくくって、
拍手を得た。虚無僧って“お笑い芸人”だったか?

終わって「ますます、好調ですね」「今日は、朗々と伸び
伸び吹いてましたね」と賛辞を浴びる。これも、竹坐氏から
の指摘で、一曲一曲、丁寧に完奏した成果だ。


本名を捨て“竹坐”に

2008-06-23 07:18:13 | 虚無僧日記
昨日1週間ぶりにブログを書いたら、3分もしない
うちに竹坐氏より電話がはいった。
「毎日見ているんですが、更新されていないので、
心配してました」と。

そうか、更新しなくとも毎日100件位アクセスが
あるので「まぁいいか」と思っていた。ところが、
アクセスされた方は、「今日も更新されてない」と
心配してくださっていたのかと、気づかされる。
相手の心が読めない自分であることに反省。

「ひとつお願いがあるのですが・・・」と竹坐氏。
「自分の本名を消して“竹坐”だけにして欲しい」
とのこと。以前から再三言われていたのだが、
なかなか彼の心に入っていけていない私であった
ことも、同じく反省。

一休には姓が無い。天皇のお子様だからだ。6歳で
安国寺に預けられる。仲間はみな、「父親は、藤原だの、
近衛だの、関白だの」と家柄を自慢し合う。姓の無い
一休(その頃は『周建』)は農民の子かとバカにされる。
一休は、恥ずかしさにその場を逃げ出し「出家とは、
家を捨てることなのに出自を自慢しあうとは・・」と憤る。

さて今、マリナーズのイチロー選手も姓は名乗らない。
タケシ、きよし、小雪と、名のみで有名になっている
スターが増えてきた。私も、牧原の姓へのこだわりは
捨てたいのだが・・・。