現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

人間とは

2009-07-02 23:26:54 | 虚無僧日記
6/30「朝起き会」での学び。
「人間」とは、明治時代まで「世間」という意味だったとのこと。
明治24年までに刊行された国語辞典『言海』には、「よのなか、
世間」と書かれてあるそうな。

昭和期まで「人間」は「社会的背景」が合わさった意味合いで
使われていた。「あなたはどうゆう人間ですか?」と問われれば、
「○○の仕事をしています」と、自分と社会との関わりを答えた。
最近は「おっちょこちょいな人間です」と、個人の属性を答える
ようになったと。

なるほど、それで詠めた。
織田信長で有名な「人間五十年、下天のうちをくらぶれば、
夢幻の如く」は、「人の寿命は50歳」というのではなく、
「人間世界の50年は、下天(=天上界の最下層)でも何千年の
永きに渡って輪廻転生するのであるから、それに比べれば
ほんの一瞬にすぎない」という意味なのだ。そして「人間
に限らず、生きとし生けるもの、みなひとたびこの世に生を
受け、滅せぬもののあるべしや」と続く。意味が広いのだ。

一休の詩「天上人間独尊」も「天上の人=釈迦は独り尊し」
ではなく「天上もこの人間世界にあっても独り尊し」。
「人間」は「天の下の人間世間」の意味だった。
「人間に堕ちて野狐となる」も「人間=人」では意味が解けない。

だから「人間」は「じんかん」と読むのが正しいか。



錬成で倒れる

2009-07-02 23:04:50 | 虚無僧日記
「錬成」とは、「鉄を熱して鍛え、不純物を叩きだして、
錆びない鋼鉄にする」という意味があるそうな。
研修ならさんざんやってきたという自負があった。
そんな気負いや慢心を、のっけに叩き潰された。

朝4時、中庭で整列し開会式の時、不覚にも意識が
無くなって倒れたのである。最近、中学高校の卒業式や
入学式で倒れる子が多いと聞いて、「最近の若い者は」
と思っていた私である。虚無僧の私が立っていられず
倒れるとは、よもやである。気がついたら周りの人に
支えられていた。

このところの寝不足と、前日、昼から何も食べていな
かったことがたたって「低血糖値」になったらしい。
意識が戻れば、その後の炎天下での訓練も、なんとも
なかった。

「自分はできる」という気負い、他の仲間を見下すよう
な“慢の心”がへし折られた。しょっぱなに高い鼻柱を
折られて、謙虚な気持ちで参加することができた。

それにしても「できている」ようで、できていない。
姿勢の悪さ、手の角度、いちいち直される。言われな
ければ気づかないものである。

そして「発声練習」では、素人に完全に負けた。
「あーえーいーおーうーあーえー」と一呼吸、大声を
出すのだが、私は20秒しか続かない。40秒も続く人が
何人もいたことに愕然。尺八で鍛えているはずだが、
私は肺活量が少ないのか。人は侮れない。


錬成会 参加

2009-07-02 09:44:15 | 虚無僧日記
(社)実践倫理宏正会の「壮年部錬成会」に参加した。
総勢約800名が参加。A、B2班に別れ、私は6/27.28の
B班。夜行バスで早朝4時、金沢の研修所に到着。
それからは朝食抜きで、室内での研修と戸外に出ての
態度行動訓練。

「気をツケッー!、前えーナラエ!、左向けェー左!」
の号令に、無心で体を動かす。「今時なんで」とか
「この年で」と思う心も、ひたすら続けているうちに
「無私」になってくる。皆と心ひとつになってくると、
動作もピタリと合って来る。その感動はまた格別だ。
60歳以上が半分以上。我々団塊の世代は、こうした
全体主義に、抵抗もあるが、嫌いでもないという、
相反する複雑な感情がある。『戦艦大和』などの戦争
映画に涙しながら、戦争反対を唱える世代だ。

会社勤めの時、教育部にも勤務していたから、いろいろな
研修手法には通じているつもりだ。自衛隊体験入隊なども
経験した。「錬成会」には、それらとは違う何かがある。
ただ頭ごなしに命令し、服従を強いるやり方では、今の
ご時勢、反発を招くだけ。能力的にできない人、やる気の
無い人も巻き込んで、気持ちをひとつにさせていくリーダー
の心得を学ぶには、良い体験だ。