現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

上意討ち-拝領妻始末

2009-07-23 10:00:32 | 会津藩のこと

「三船プロ」が『黒部の太陽』を制作した前年(1967)の作品が
『上意討ち-拝領妻始末』。黒澤明作品の看板スターだった
三船敏郎が、その対極にある小林正樹監督と手を結んで制作。
対手役は、これまた仲代達矢。
原作は滝口康彦の『拝領妻始末』

内容は、会津藩主三代目正容の侍妾お市が家臣の笹原
伊三郎(三船)の息子与五郎(加藤剛)に払い下げられる。
二人は夫婦となって仲睦まじく暮らし女児をもうけたが
お市が産んだ殿の子容貞が次の殿様候補となったため、
「世継ぎの生母が家臣の妻であるわけにはいかぬ」と、
お市を離縁するよう、伊三郎・与五郎父子に君命が下る。

それまで婿養子でおとなしくしていた伊三郎(三船)が、
「お家のためには離縁すべし」という妻に初めて逆らって、
君命を拒絶する。

実際にあった話で、史実では、お市は奥御殿に押し込め、
笹原父子はお家断絶、長原村に幽閉蟄居となる。やがて
正容が亡くなり、容貞が8歳で4代会津藩主となるが、
その翌年、お市は23歳で亡くなる。

これでは映画にならないから、映画では、お市と与五郎は
愛を貫いて自害、父の伊三郎は「こんな不条理があってなる
ものか」と、江戸に訴え出るため脱藩する。それを追う同僚の
仲代達矢と荒涼たるススキの原で死闘が展開され、最後は
鉄砲で討たれ三船は死んでいく。そのバックに、太鼓の音が
ドドーンと銃声のように響く。尺八は枯野をよぎる簫々たる
風の音だ。

モノクロで、最初から最後まで重苦しく暗く緊迫した映画で、
その年のキネマ旬報では高い評価を得たものの、一般には
受けなかったようだ。映山画音楽に横山勝也氏の尺八が
使われたことで驚喜して何度も見たのは私ぐらいか。
最近の映画では「武士の一分」「たそがれ清兵衛」と、藤原
道山の尺八が起用され注目されている。いいことだ。


追記: 先年、会津会で下北半島に斗南藩の跡を訪ねる旅があった時、
   同行された方が「笹原」さんだった。聞けば、笹原伊三郎の
   次男の末裔とのこと。



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黒澤明と小林正樹監督

2009-07-23 07:16:23 | プロとアマ
黒澤明監督の『影武者』で武田信玄役は、当初、勝新太郎で
撮影が進められていた。それが勝が黒澤と喧嘩して降板したため、
仲代達矢に廻ってきた。武田信玄なら勝新太郎だろう。仲代は
上杉謙信の方が似合う。違和感をもって見た。

私は、いまひとつ黒澤作品には納得していない。リアリティが
無いのだ。『影武者』の長篠の合戦シーンなど、まったくデタラメ。
映画なのだから、“様式美”が優先されて当然かもしれないが
歴史認識を破壊されると、私としてはシラけてしまう。

黒澤に対して、小林正樹監督の作品は、おそろしいほどのリアリティ
がある。仲代達矢主演の『人間の条件』は、父の体験と重ね合い
とても正視できなかった。『切腹』も仲代が主演。武士の社会の
欺瞞と不条理を鋭く突いた。浪人の悲哀と意地は、虚無僧の私にも
通じる。

1967年の作品『上意討ち-拝領妻始末』は、もう感動だった。
会津藩に起きた事件であるから、これには私の先祖も少し関係
していた。婿養子で普段は妻に何も言えない三船敏郎。まさに
「男は黙って」の三船である。男尊女卑の武家社会の代表のような
会津藩だが、実は女性の方が強いのは、わが家をみてもわかる。
着ている着物の粗末なことも、まさに会津藩だ。

唯一間違いは、閉門蟄居で笹原家の門に太い竹が組まれるが、
会津にこの時代“孟宗竹”は無い。ラストシーン、脱藩して
江戸に逃れようとする三船とそれを追う丹波哲郎の壮絶な格闘
シーン。これも事実ではないが、それはそれ、映画だからいい。
尺八と太鼓だけのBGM。『怪談』では尺八と琵琶。武満徹の
エクリプス(日蝕)だった。尺八吹きとしては、もう感動だった。

小林正樹監督の作品は、リアルでシリアスな緊迫感が持続する。
それは今の時代にはウケないのか。残念無念。


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