ラジオで仲代達矢のインタビューを聞いた。
まだ俳優座の研修生だった頃、黒澤明監督の
「七人の侍」(1954年)で、「エキストラ役を一人」
というので、オーディションを受けに行った。
「背が高い奴がいい」と自分(仲代)が選ばれた。
そこで初めて鬘をつけ、着物を着て、刀も初めて差した。
そしてカメラテストとなった。ただ歩くだけだが、
黒澤監督は、「なんだ、その歩き方は、全然なってない。
俳優座は何を教えとるのか」とボロクソ。30回もやり直しを
させられたところで昼となり、撮影中止となった。
自分のシーンは3秒ほど、ヒョロ長い浪人が道を歩くだけ
だった。
「くやしくて、以後絶対黒澤の作品には出ない」と誓った。
その後「用心棒」で出演依頼がきた。しかし最初は断った。
監督が「なぜだ?」と聞いてきたので、「以前これこれで・・・・」と
言うと、黒澤監督が頭を下げて「頼む、出てくれ」と。
「やったー!黒澤監督に頭を下げさせた」という思いで
引き受けた。
だが、最初の頃は“剛”の三船敏郎に対して“柔”の斬られ役
ばかりだった。
それが『影武者』で、勝新太郎が黒沢監督と喧嘩して降板したため、
代役で出演し、これがカンヌ映画祭でグランプリを獲る。
「くやしさをバネにして頑張り、大成した」という仲代達矢氏。
意外ないい話だった。
「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。
私のメールは goo3360_february@mail.goo.ne.jp
まだ俳優座の研修生だった頃、黒澤明監督の
「七人の侍」(1954年)で、「エキストラ役を一人」
というので、オーディションを受けに行った。
「背が高い奴がいい」と自分(仲代)が選ばれた。
そこで初めて鬘をつけ、着物を着て、刀も初めて差した。
そしてカメラテストとなった。ただ歩くだけだが、
黒澤監督は、「なんだ、その歩き方は、全然なってない。
俳優座は何を教えとるのか」とボロクソ。30回もやり直しを
させられたところで昼となり、撮影中止となった。
自分のシーンは3秒ほど、ヒョロ長い浪人が道を歩くだけ
だった。
「くやしくて、以後絶対黒澤の作品には出ない」と誓った。
その後「用心棒」で出演依頼がきた。しかし最初は断った。
監督が「なぜだ?」と聞いてきたので、「以前これこれで・・・・」と
言うと、黒澤監督が頭を下げて「頼む、出てくれ」と。
「やったー!黒澤監督に頭を下げさせた」という思いで
引き受けた。
だが、最初の頃は“剛”の三船敏郎に対して“柔”の斬られ役
ばかりだった。
それが『影武者』で、勝新太郎が黒沢監督と喧嘩して降板したため、
代役で出演し、これがカンヌ映画祭でグランプリを獲る。
「くやしさをバネにして頑張り、大成した」という仲代達矢氏。
意外ないい話だった。
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