地図には明るい方だが、山岳地帯は苦手だ。
立山、剣岳、黒部の位置関係がイマイチ判らない。
それで、昨日、思い立って黒部湖まで行ってきたのだ。
以前、富山から宇奈月温泉までは行ったことがある。
宇奈月方面から黒部峡谷を登り、立山を越えて、黒部湖に
下り、大町側に抜けるアルペンルートが開かれたが、
マイカーは通れない。関西電力が運営するトロリーバス、
ケーブルカー、ロープウェイを利用して、立山の反対側に
抜ける。今では、お年寄りでも、軽装で越えられる。
だが、400年前、富山の佐々成政は、この立山を厳寒の冬に
8日もかかって越えたのだ。日本登山史に記録されるべき
快挙。歴史では知っていたが、行ってみて、あらためて、
そのすごさを感じる。徳川家康の家臣たちは、その行動を
褒め称えもすれば、軽挙妄動とあざ笑う者もいたとか。
結局、佐々成政は家康を動かすことができず、すごすごと
同じ道を辿って富山に帰った。往復したのだ。
「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。
「一休と虚無僧」で別にブログを開いています。
立山、剣岳、黒部の位置関係がイマイチ判らない。
それで、昨日、思い立って黒部湖まで行ってきたのだ。
以前、富山から宇奈月温泉までは行ったことがある。
宇奈月方面から黒部峡谷を登り、立山を越えて、黒部湖に
下り、大町側に抜けるアルペンルートが開かれたが、
マイカーは通れない。関西電力が運営するトロリーバス、
ケーブルカー、ロープウェイを利用して、立山の反対側に
抜ける。今では、お年寄りでも、軽装で越えられる。
だが、400年前、富山の佐々成政は、この立山を厳寒の冬に
8日もかかって越えたのだ。日本登山史に記録されるべき
快挙。歴史では知っていたが、行ってみて、あらためて、
そのすごさを感じる。徳川家康の家臣たちは、その行動を
褒め称えもすれば、軽挙妄動とあざ笑う者もいたとか。
結局、佐々成政は家康を動かすことができず、すごすごと
同じ道を辿って富山に帰った。往復したのだ。
「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。
「一休と虚無僧」で別にブログを開いています。