現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

偈箱の明暗の意味

2009-07-06 22:14:38 | 虚無僧って?
あるサイトに「虚無僧が下げている箱に『明暗』て書いてあるけど
あれには特に意味はないんですって。“明暗寺の僧”という意味で、
所属する寺の名前だそうです」とあった。

ウ~ム、ムムム、当たっているよな、違っているよな。
たしかに、江戸時代には、「明暗」と書いた偈箱は無かった。
明治になって、東福寺内善慧院に「明暗教会」が設立されてから、
谷狂竹は「大本山京都東福寺明暗教会」と、誇らしげに偈箱に
書いた。

東福寺なら、知る人ぞ知るであるから、信用もおける。現在でも
律儀に「明暗教会」と書いている人もいる。それが「明暗」と
なったのは、どうも、戦後の映画の中でのようだ。

私も一応「明暗教会会員」にはなっているので、偈箱には「明暗
教会」と書くべきなのだろうが、私は普化禅師の「明頭来明頭打、
暗頭来暗頭打」の“偈”の意味で「明暗」と書いている。

偈箱の“偈”とは、「悟りを悟りを開く教えとなる語」なのだ。


「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

一休と虚無僧」で別にブログを開いています。

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