7/7 突然思いたって、黒部ダムまで行ってきた。
早朝4時に名古屋を発って、中央道を松本の次の
豊科まで行き、一般道を大町経由扇沢まで走る。
マイカーはここまで。あとはトロリーバスでダム
まで行く。日本にもこんな大自然があったのかと
驚く。その雄大さに圧倒されるが、ここにダムを
造った人間の叡智と努力にも驚嘆する。
映画『黒部の太陽』でも知られるようになったが、
扇沢から資材を運ぶためのトンネルを掘るのが
大変だったのだ。破砕帯という軟弱な地盤にぶち
当たり、崩れる土砂と大量の水に悩まされたのだ。
売店のおじさんから、「戦前、仙人谷ダムの第三
発電所を建設した時は100度以上の熱湯が吹き出て、
300名もの犠牲者が出た。ここよりもっと大変だった」
と教えられる。吉村昭の小説『高熱隋道』は、黒部の
第三発電所建設にからむ話だったと知る。
それにしても、私は晴れ男。梅雨のさ中であるが、
走行中は降ったり止んだり。SAでの休憩時と、黒部
ダム見学の間だけ晴れた。名古屋から往復500km。
15時間の旅。平日とあって観光客はお年寄りの
ツアーのみ。空いていて快適であった。
「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。
「一休と虚無僧」で別にブログを開いています。
早朝4時に名古屋を発って、中央道を松本の次の
豊科まで行き、一般道を大町経由扇沢まで走る。
マイカーはここまで。あとはトロリーバスでダム
まで行く。日本にもこんな大自然があったのかと
驚く。その雄大さに圧倒されるが、ここにダムを
造った人間の叡智と努力にも驚嘆する。
映画『黒部の太陽』でも知られるようになったが、
扇沢から資材を運ぶためのトンネルを掘るのが
大変だったのだ。破砕帯という軟弱な地盤にぶち
当たり、崩れる土砂と大量の水に悩まされたのだ。
売店のおじさんから、「戦前、仙人谷ダムの第三
発電所を建設した時は100度以上の熱湯が吹き出て、
300名もの犠牲者が出た。ここよりもっと大変だった」
と教えられる。吉村昭の小説『高熱隋道』は、黒部の
第三発電所建設にからむ話だったと知る。
それにしても、私は晴れ男。梅雨のさ中であるが、
走行中は降ったり止んだり。SAでの休憩時と、黒部
ダム見学の間だけ晴れた。名古屋から往復500km。
15時間の旅。平日とあって観光客はお年寄りの
ツアーのみ。空いていて快適であった。
「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。
「一休と虚無僧」で別にブログを開いています。