現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

明暗箱

2009-07-09 08:58:31 | 虚無僧って?
山水氏からFax。「福田蘭童の『新日本膝栗毛』に“明暗箱”と
書いてあります」と教えてくれた。

 福田蘭童は明治38年生れ。巻頭に「私が20歳の春」とあるので
大正末期。「赤い襦袢に袈裟衣、“明暗箱”に天蓋といった扮装で
虚無僧の旅に出発した」とあり。P.37には「明暗と書いた“喜捨箱”
を肩からぶらさげて」と。

福田蘭童は、明治の画家青木茂と福田タネの子。蘭童の子が
クレージーキャッツの石橋エータロー。妻子ありながら女優
川崎弘子を強引に奪い、“プレーボーイ”と騒がれた。
横山勝也の父、蘭畝の尺八の師でもある。戦後、ラジオの
『笛吹き童子』で世に知られたが、尺八界では異端児。私の師
堀井小二朗とも親交があった。

『新日本膝栗毛』は昭和27年刊行。自分の虚無僧体験を書いた
本なので、20歳の時、大正時代、すでに「明暗」と書いた「偈箱」が
一般的であったことになる。しかし「偈箱」という言葉は使って
いない。「偈箱」は最近のようである。


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「高熱隋道」

2009-07-09 07:12:08 | 虚無僧日記
石原裕次郎の『黒部の太陽』は、話題の映画がだったが、
テレビ放映もDVDでの市販も禁止されているとか。その封印
された映画が、今年3月フジテレビでリメイクされ放映された。
主演は香取慎吾で、黒部ダム建設の難工事があらためて認識
された。

扇沢からトロリーバスで黒部ダムまでいくトンネルが、ドラマの
舞台だった。途中に「破砕帯」の表示がある。水温4度の冷水を
浴びながら働いた人々のご苦労を偲び、目頭が熱くなる。

トロリーバスを下りてから、トンネルの中、220段の階段を上ると
ダムを見下ろす展望台に出る。眼前に迫る岩山、急な沢には根雪が
残り、足元に巨大な黒部ダム。別世界だ。

その展望台の売店に「黒部の太陽」他、黒部に関する書が売られて
いた。売店のおじさんが、黒部のことを熱く語ってくれた。そして
勧めてくれたのが『高熱隋道』という本。「みんな知らないけど、
こっちの方がもっと大変だったんだ。300人も死んだんだから」と。

買い求めて読んだ。「黒四(クロヨン)」とは、黒部第四発電所のこと。
第四だから、第一、二、三発電所もある。黒部川沿いに、戦前に
発電所が造られていたのだ。
太平洋戦争に向かう昭和14年、軍の政策によって、第三発電所が
造られた。こちらは、トンネルを掘っていくとすぐ、熱床帯に
ぶち当たった。日ごとに温度が増し、坑道の中は炎熱地獄となった。

冷水を掛けながら掘り進むが、岩盤は100度を超え、そこへ打ち
込んだダイナマイトが爆発し、何人もの死者が出たのだ。
さらに、熱風は160度にまで達したという。「黒部の太陽」でも、
この時の工事で、身内を失った人たちや足を吹き飛ばされた親方が
黒四の工事に反対するシーンが出てくる。第四よりも過酷な工事が
あったとは。その工事に狩り出され、亡くなった人の多くが朝鮮人
だったことは、歴史の闇か。


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