現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

走ることの意味

2010-12-07 21:30:28 | 虚無僧日記
マラソンは苦手。だいたい、フルマラソンの距離が
42.19km。「死に行く」だ。そのマラソン愛好家が
増えているそうな。皇居を一周するランナーも、
多いときは、日に5万人とか。

何が良くて走るのだろう。ネットで、こんな声が
あった。

「走っていると自分が空っぽになり、自分であって
自分でないような爽快な気分になる。自分が解体し、
私を追い抜いていった少女やおじいさん、子どもの
背中を見ながら、自分に重ねて空想し、何にでも
なれる気がする」と。

なるほど、尺八にも通じる。サーファーも同じような
ことを言っていた。波に乗るのは「なみのり弥陀仏」と。

マラソンはよく人生に例えられる。
そう、私が思うには、スタート時点でもう先頭組と
負け組みが決まってしまう。どん尻にいた者が、
何十人もごぼう抜きしてトップに躍り出ることは
まずない。あれば奇跡の逆転劇。それも人生か。


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12/6 虚無僧41日目

2010-12-07 06:54:39 | 虚無僧日記
12/6 3時間立ってついにゼロ。月曜日は厳しい。

「井戸掘り名人の話」
必ず、井戸を掘り当てるという井戸掘り名人がいた。
その極意は、水が出るまで掘ること

そんな話を思い浮かべながら、「あきらめてはいかん」と
自分に言い聞かせる。

24歳の時、ディベロッパー(開発)会社に出向して、
別荘地の開発に携わった。蓼科や那須で山林を買い、
温泉の掘削を行った。1,600mも掘ったがついに温泉は
出ず。その山々は「不良資産」となった。

事業とはバクチみたいなものだ。一山当てようとして、
失敗の方が多いのだろう。

尺八を吹きながら、いろいろなことが、走馬灯のように
甦る。3時間も吹いて、考えることも無くなった。
心“ 無 ” になって帰る。

曹洞禅は「只管打坐」。
ただひたすら 黙々と、何ら意義や目的を持たず、求めず、
坐禅修行の姿そのものが仏・悟りであると。


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