現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

12/ 7.8 虚無僧 42.43日目

2010-12-09 20:58:14 | 虚無僧日記
一日ゼロの日もあれば、千円以上になる日もある。
いちいち「一喜一憂」しなくなってきた。

12/ 7 はゼロ。しかし、翌朝Yさんから。
「昨日、娘が帰ってくるなり、『今日ね、栄で
虚無僧を見たの。時代劇で見るような、本物の
虚無僧が居たの。今でも居るんだ』と、興奮して
しゃべるから。『それは一路さんだわ』と言うと、
『エぇー! お母さんの知ってる人!?』と、
ますますビックリして大笑いになった」と。

殆どの人が、私を無視して通り過ぎて行くが、
中には、ビックリ仰天している人もいるのだ
と、うれしくなる。


12/ 8 栄で、Tさん・Oさんと出合った。
Tさん「虚無僧姿、すごく色っぽいわねぇ。
    凜としてステキ。惚れ惚れするわ」。
Oさん「まあ、惚れられたら大変ね」。
私  「惚れられてみたいな」
Oさん「なんてこと言うの!虫が付いたら大変よ」
私  「虫と無視はイヤでござる」



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「七尾城」にコメント

2010-12-09 10:23:34 | 虚無僧日記
12/ 5 のブログ 「七尾城」にコメントをいただいた。
七尾城については、全く無知でしたので、転載させて
いただきます。

「謙信は畠山家を滅ぼしていません。
畠山家を追放したのは、その家臣達(七人衆)です。
そして、自分達に都合良く、謙信に罪を擦り付けたい
家臣・長連龍父子が、長家家譜(記録)を書いたのです。

余りにも事実に反し、また余りにも無念なので、ぜひ
宜しければ、上杉側の記録(上杉家御文書や書状)を見て
下さい。そして、謙信が保護した畠山一族の記録も見て
下さい。
謙信が保護した畠山一族の子孫の、能登守護だった畠山
義続・次男の上条政繁(義綱の弟)と、七尾城を無血開城
させて保護した畠山義春(春王丸、又は、その弟)の事も
知って頂ければ幸いです。


Wiki-Pediaによると、確かに、次のように書かれている。

1577年(天正5年)に能登国に侵攻した上杉謙信に包囲
されるが、一年にわたって持ちこたえた。しかし、重臣
同士の対立の末に、若年の当主畠山春王丸が長続連、
遊佐続光、温井景隆らの対立を収めることができず、
最終的には遊佐続光の内応によって、長氏一族が
殺害され、同年9月13日に開城された(七尾城の戦い)。

私としては、会社勤めをしていた時の上司が「七尾」姓
だったので、「七尾氏」について調べているのだが、
「七尾城」とは関係ないようだ。

また、名古屋には「七尾天神社」があるが、これも
「七つの尾を持つ亀を祭った」ということで、七尾城
とは関係無い。


12/ 8 ライトハウス明和寮にて

2010-12-09 09:46:40 | 虚無僧日記
「そよ風届け隊」の秋野さんからの依頼で、一緒に、
港区の障害者支援施設「ライトハウス」に行く。

18歳から50代の知的障害者ということで、緊張する。
丁度、朝、NHKのラジオで「障害者支援」の話をして
いて、「障害者と思わないこと」というアドバイスが
あった。

車椅子に仰向けに寝た状態の人。視覚障害の人。
言葉を理解できない人がほとんど。言葉や視覚では
伝わらないのだ。

でも、秋野さんの「腹話術」で和み。私の尺八では、
喜びの反応を示してくれた。逆に興奮していた子?は、
静かになって、耳を傾け聞いてくれた。

じっと聞いていた女性が、最後の盆踊りでは、車椅子の
まま、手を振って一生懸命踊り出した。そんな反応に
私の方が感動し、涙腺がゆるむ。

目が見えなくとも、言葉が分からなくとも、体で感じて
くれるのだと。そして、みんな“かわいい”。一人ひとり
が美しく輝いて見えた。「正常と異常」とは何なのかを
考えさせられる。


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