現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

レコード大賞「AKB48」に。これが日本の音楽業界の現状です。

2012-12-31 20:19:05 | 私の尺八遍歴
今年の「レコード大賞」は「AKB48」の
「真夏のSOUNDS GOOD!」に決定!。
「AKB48」は 昨年の「フライングゲット」に
続き2年連続の受賞。

今年は、オリコンのランキングは「AKB」が
独占するという異例の事態になっている。これを
踏まえると、大賞は文句なしの受賞ではあるが、

作曲家の服部克久さんが、「これが日本の音楽
業界の現状です」と発言したことで、物議をかもして
いるそうな。

真意はわからないが、私なりに思うのは「紅白」を
見ても、最近は 全然感動できない。年のせいだろうか。
世代の違いか。若者の歌は、ただ がなっているだけで
やかましい。歌詞もわからない。メロデイの美しさも
無い。

CDの売り上げ、人気の秘密が、音楽の質とは別の
ところで決っている。「紅白」の視聴率低下が、
「日本の音楽業界の現状」を示しているでしょう。

さてそこで、谷間産業として「尺八」の付け入る隙は
ないか、模索中でござる。(忍者虚無僧の独り言)

球界のゴジラは不滅です

2012-12-31 19:35:22 | 私の尺八遍歴
中日新聞 12/29 のコラム
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松井秀喜選手引退。その記者会見で「僕自身は
“引退”という言葉を使いたくない。これから
まだ草野球の予定もはいってますし・・・」と。

かつて「僕は義務感で仕事していません。野球が
好きだから、一日中投げていても、打っていても
飽きない。なんでこんなに早く日が暮れるのかと
思う日々。好きだからやる。それでお金までもらえる。
こんな楽しいことはない」と言っていたとか。

職業に引退はあっても「好きなこと」に引退はない。
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と。私もそうだ。虚無僧で立っていると「大変ですね、
ご苦労様」と言われる。私自身は、全然 大変なんて
思っていない。辛いとも思っていない。とにかく
尺八を吹けることが楽しい。家では 近所迷惑になるので、
あまり吹けない。カラオケボックスで一人で吹いて
いたって しょうがない。

街頭が私の練習場所。私の尺八を聞いてくれる人が
いると思うと胸ワクワク。それでお金までいただける。
こんないいことはない。

幸せいっぱいで、どうもスミマセン。こいつはシャク
(はち)だった。

行く年 来る年 

2012-12-31 18:06:34 | 虚無僧日記
毎年、大晦日は「紅白」を見ずに仮眠し、23時45分、
「紅白」が終わると飛び出して、除夜の鐘のはしごです。
3カ寺を廻ります。そして、白山神社、豊国神社、八幡社に
参拝。どこも、善男善女が押しかけて、押すな押すなの
盛況です。

午前3時に帰宅して、水垢離をとり、着替えて「朝起き
会場」へ。開会前の朝4時45分から10分間、尺八の吹奏。

これが私の“初仕事”。正月元旦の早朝から尺八が
吹けることに感謝です。一年の計は元旦にあり。
これで、今年もさい先良し。

「朝起き会」のあと、熱田神宮で奉納吟。そして「真如苑」に
お参り。元旦早々から走り回り。やっぱ、ネズミ年です。
蛇はネズミの天敵でしたか。

2012年 よさようなら

2012-12-31 17:37:15 | 虚無僧日記
いよいよ大晦日。毎年「正月が来る気がしなくなった」と
言われますが、昨日今日は、早朝から市場はすごい人。
名古屋では まだまだ「おせち料理」を作る家庭が多い
ようです。

「お餅をついたので」「おせち料理 作りましたので」と
持ってきてくださいました。これで正月が迎えられます。
感謝です。

年賀状もやっと書き終えました。11月からハガキを
準備していたのに、結局、押しつまってしかできない私。
来年こそは、早めに出そうと決意を新たにするものです。

古いハガキは処分しようかと整理していたところ、Wさん
から電話が入りました。10年前、私のライブに来て
くださった方です。やはり、古い資料を整理していて、
私のチラシが出てきたので、「今どうしているから」と
電話を掛けたとのこと。私も、不思議とその方のことは
覚えていました。「水琴窟」のことから、共通する知人の
名前が次々と出てきて、1時間も長話をしてしまいました。
ホントに不思議。昔のことはよく覚えているものです。

「さまざまのこと思い出す桜かな」(芭蕉)にもじって
「さまざまのこと忘れる大晦日」

近くのお寺の掲示板にこんな文句が掲げられていました。
「早かったね 一年、また来るよ新年」

どちらさまも、来年も良い年でありますように。



「高橋是清」に学べ

2012-12-31 12:40:02 | 政治家
中日新聞に長らく連載されていた『天佑なり』が大晦日の今日
完結した。「幸田真音」の力作。

大正から昭和始めにかけて首相、蔵相をつとめた政治家「高橋是清」翁
(1854~1936年)。昭和11年(1936年)「2・26事件」の凶弾に
倒れる。時に83歳。

今まで、明治、大正、昭和の歴史は「軍部中心」に語られてきた。
「幸田真音は」、「高橋是清」を中心にすえて、経済の面から
「日清、日露、第一次世界大戦、恐慌」を詳細に論じた。私も
始めて知ることばかりで驚きだった。とにかく、桁外れにすごい人だ。

12歳でアメリカに渡ったものの、言葉が通じないことから、奴隷に
売られてしまう。その後運良く助け出され、明治元年に日本に帰国。

英語ができるということで「大学南校」に助手として採用される。
しかし、酒と芸者にのめりこみ、辞職。

英語の翻訳で得た金も、銀相場に手を出してスッカンピン。
ペルーの銀山開発の詐欺話に騙されて、ペルーまで行ったものの、
銀は産出せず大損。家屋敷も売って、極貧生活に舞い戻り。

そんなこんな、すったもんだの体験をすべて肥やしにして、
日銀に入り、やがて頭角を現して日銀総裁から蔵相となる。
総理大臣にまでなった。

昭和7年1月、上海事変が勃発。陸軍の増長を経済面から
封じ込めようとして、軍部の反感をかう。

「国防とは守るに足るだけで良し。軍部は常識に欠けている。
参謀本部なんてものがあるから陸軍は戦争をしたがるのだ。
地方幼年学校の増設は無意味である。社会から隔離した
特殊教育を幼年学校で行なうから片寄った人間を作るのだ。
この人間が陸軍の幹部となり政治にまで口を出すとは
言語道断。国家の災いである」と軍部を叱りつけた。

それが、2.26事件の引き金となった。

「軍部の増長の先にあるものを明確に予見ていた「無私の人」
高橋是清の声は、暴挙によって完全に絶たれた。当時1ドル
3.33円だったのが、第二次大戦を経て360円にまで
下落。財政規律だけでなく、法治国家としての規律も破壊し、
是清がなによりも守りたかった国民生活にもまた大きな
犠牲を強いるのである。・・・と。

全く、日本陸軍の“愚かさ”にはあきれるばかり。今また
歴史は繰り返す。先の衆院選で、投票率6割の得票4割。
国民の四分の一、25%にしか支持されていない自民党が
「原発推進、憲法改悪」と図に乗ってる。軍部の独善、
独走を許すが如し。自民党の議員は『天佑なり』を読むべし。


ところで「幸田真音」って 一体 何者? なんと「こうだ
まいん」という女性でした。「まいん」は「main=買いの意味」。
米国系銀行や証券会社で債券ディーラーや大手金融法人を
担当する外国債券セールスなどを経て、前政府税制調査会委員、
財務省・財政制度等審議会委員・・・・・・。

ドヒャー。その他すごい肩書き。日清・日露の舞台裏、
資金調達に東奔西走した「高橋是清」の詳細なる記述は、
とても歴史作家では及ばない。

路上から武道館へ「宮崎菜穂子」

2012-12-31 11:33:31 | 私の尺八遍歴
12/31 中日新聞に「宮崎菜穂子」が大きく取り上げられて
いました。先日、ネットで知った「路上ライブから武道館
公演」を達成したシンガー・ソングライターだ。

「歌が下手だから、不器用だから、誰よりも長い時間、
路上で歌おう」と、5年以上路上ライブを続けてきた。

オーディションを受けてもすべて落ちて、40社以上の
レコード会社にデモ・テープを送って、すべてダメ。

黒縁メガネに丸顔、自分でも「笑われるのが怖くて、
歌手になるなんて口にできなかった」と言うほど、
地味な顔。

それでも、歌手になる夢をあきらめきれず「このまま
大学を卒業して就職したら、一生後悔する」と、大学
3年の時、キーボードを抱えて、初めて渋谷駅西口の
歩道橋前に立った。初めはなかなか声が出ない。
やっと歌い始めても、人波はどんどん流れていき、
誰も立ち止まってくれない。「あなたの歌からは
何も伝わらないね」と云われて落ち込む日々。

それでも歌い続けられたのは“劣等感を抱えていたから”。
1日12時間 歌い続けた日もあった。

ルックスが良いわけじゃない。才能もない、何もいから
動くしかない。雨の日も雪の日も歌い続けて、その姿に
元気づけられた人たちが、応援してくれるようになった。

そして、356日目でサポーター1万5千人を集め、
今年11月、日本武道館でのソロ・コンサートを果たした。

新聞記事の見出しは『にんげん発電力・夢追う姿 応援歌』
小さな幸せの種をまき、懸命に夢を育んでいる人たちがいる。
大きな夢であれ、小さな夢であれ、それは周囲にも勇気や
希望、元気を運んでくれる。

プロフイールを見たら、なんと「慶応卒26歳」。ガ~ん。
私も負けないぞォォォォォ。65歳からの挑戦。