現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

「邦楽ジャーナル」連載 「虚無僧曼荼羅」 1

2017-01-11 17:16:58 | 虚無僧って?

昨年(H28)5月から『邦楽ジャーナル』に虚無僧の歴史について

寄稿させていただいております。その記事をアップします。

 第1回 謎だらけの虚無僧史

 私、平成の虚無僧一路でござる。子供の頃、

家の前に現れた虚無僧を見てビビッときて、

虚無僧に憧れ60年。念願かなって今晴れて

虚無僧をしておりまする。

 

ところで虚無僧って何? 大学は文学部史学科に進み、

そこで虚無僧について調べてみたら、調べれば

調べるほど謎だらけ。

一般的には 「虚無僧は禅宗のひとつ普化宗の僧。

普化宗を日本に伝えたのは紀州由良の興国寺の

開山、法鐙国師覚心」といわれています。

ところが、室町時代以前の正史には、法燈国師と

普化宗・虚無僧との関係を記す史料は出てきません。

そもそも興国寺は、当初は禅宗ではなく、高野山の

系統で寺名も西方寺でした。さらに調べれば、

教の法統には、中国にも日本にも普化宗など

なかったのです。

虚無僧の祖を中国唐代の普化禅師とし、法燈国師が

日本に伝えたという説は、江戸時代の後半になって

出された『虚鐸伝記国字解』という書物に書かれて

いるものです。その内容が創作されたものであることは

ほぼ明らかです。

では『虚鐸伝記国字解』の作者は何を根拠

そのような伝説を創作したのでしょうか。

それが虚無僧についての最大の謎です。

そして江戸時代、虚無僧は徳川家康のお墨付きを

もらったとして「関所も芝居小屋もフリーパス」、

「尺八は虚無僧しか吹いてはならない」などと

手前勝手な特権を振りかざすようになります。

その「お墨付き」と称する『慶長の御掟書』というものが、

これまた真っ赤な偽物。ねつ造だったというのですから、

何をかいわんやです。

それなのにネット上では、伝説や伝聞がまことしやかに

書かれていたり、法燈国師を「東福寺の禅僧」とか、

「普化宗は幕府の隠密のようなことをしていたため、

明治になって廃止された」などという説が拡散されて

ます。

面白いのは、「虚無僧が前に下げている箱に『明暗』と

書かれていますが、あれは明暗寺の僧であるということを

示すもので、特に意味はありません」というのも

ありました。意味は大ありです。「明暗」とは、

普化禅師の偈「明頭来明頭打、暗頭来暗頭打」に由来

するもので、これこそ虚無僧の唯一の教義です。

ですが、京都の明暗寺は江戸初期は「妙安寺」でした。

そして「明暗」と書かれた偈箱 は今日では

虚無僧の定番ですが、実は江戸時代には無かったのです。

最後にもうひとつ。「虚無僧は元武士でなければ

なれなかった」というのですが、浮世絵や大津絵には

女物の着物を着た「女虚無僧」の絵がたくさんあります。

はたして「女虚無僧」はいたのでしょうか。男性が

女装していたのでしょうか。

知れば知るほど不可解な虚無僧の実像と虚像を今月から

連載させていただきます。

 


虚無僧曼荼羅 2

2017-01-11 17:08:16 | 虚無僧って?

「邦楽ジャーナル」2016.6月号に掲載

虚無僧曼荼羅 No.2

「清濁併せ持つ虚無僧」

 普化宗の公認は昭和25年

大正、昭和にかけて、“最後の虚無僧”と云われた谷狂竹は、

愛知県の新城市で警察に捕まり、留置場に入れられています。

「乞食をした」という理由で、天蓋、偈箱、尺八を取り上げられたうえ、

4、5発殴られて留置場にぶちこまれました。裁判での谷狂竹の弁明は、

「虚無僧の門付けは、一に修行で、修行僧は自ら食物を求めることは

できないので、在家の喜捨に待たねばなりません。

二に尺八の吹簫行化は、仏のに従って功徳を衆生に施すもので、

尺八の音に感じて功徳を得、道心を起こす人が現われ、ご好意で喜捨

いただくもので、こちらから無心(無理に要求)するものではありません」と。

この弁明に対する検事の意見は、「なるほど、精神的には乞食ではないが、

客観的には乞食と異なる所はない。例えば、近頃は何なに術とか、

何なに療法などと言って医師法違反をする者がいるが、病を治して

やろうという精神は悪くないにしても、違反は違反である。

従って、被告は名を虚無僧にかりても、乞食は乞食である」と。

そして判決は「拘留4日」でした。(『虚無僧 谷狂竹』稲垣衣白編より抜粋)

この両者のやりとりの中に、虚無僧は修行僧なのか物乞いなのか、

清と濁併せ持つ虚無僧の特異性が見いだされます。

そして虚無僧が「普化正宗」として宗教法人登記され、天下晴れて

公認されたのは、なんと戦後の昭和25年のことなのです。

前後して『虚無僧屋敷』『虚無僧系図』『鳴門秘帖』『甲賀屋敷』等

虚無僧を主人公にした映画が封切られました。これらの映画に登場

してくる虚無僧は“善玉”、白面の貴公子でした。主役の嵐寛寿郎、

市川歌右衛門、鶴田浩二といった大スターに憧れて、虚無僧に

変身する者も現れました。映画の主人公気取りで、虚無僧の恰好をし、

門戸に立って「六段」や「千鳥の曲」など習いたての曲を吹いて

回ったのでした。「虚無僧、昔よくみた」といわれる虚無僧の

多くはそんなコスプレ虚無僧でしょう。

では本物の虚無僧って何なのでしょう。この続きは次号に。