現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

義満、後小松天皇を金閣寺に迎える

2021-07-01 21:35:36 | 虚無僧日記

足利三代将軍義満は後小松帝を金閣寺に招き、一か月もの間拘束。毎日能の宴を開いたり、酒池肉琳三昧。そして、後小松帝に「次期天皇には我が子義嗣を」と約束させた。

 

そして義嗣の立太子の儀式を終えた一週間後、義満は謎の死を遂げる。

義満殺しの黒幕は義満の長男で第4代将軍になっていた義持。義持と義嗣は母親違い。兄義持にしてみれば弟義嗣が天皇になることなど絶対許せない。自身は将軍であって、天皇に膝まづかなければならない。そんなことには耐えられない。

それで父義満を殺し、相国寺も七重の塔を始めことごとく破棄した。ただ金閣寺だけは残した。

さて、後小松天皇が1カ月も滞在された場所としては、現在見る金閣寺では狭苦しい。復元写真によれば、方丈など別棟もあったのだ。これで納得。

 


7月2日 金閣寺が放火で焼失

2021-07-01 21:04:40 | 虚無僧日記

金閣寺、放火で焼失

1950(昭和25)年7月2日の午前3時ごろ、京都市上京区(現北区)の鹿苑寺舎利殿(金閣寺)が火事で焼失した。警察が不審火として捜査し、同寺の見習い僧侶であり大谷大学生の林承賢が行方不明であることが判明。夕方、寺の裏にある山中で睡眠薬を飲み切腹してうずくまっていたところを発見され、放火の容疑で逮捕した。林は懲役7年の実刑判決を下され、服役。55(同30)年に恩赦で出所したが、半年後に肺結核で死亡した。この放火事件をヒントに三島由紀夫が小説『金閣寺』を書いた。

昨年 京都観光に行った時、ガイドが「金閣寺と銀閣寺、どちらが古いでしょう」というので、当然「金閣寺」と答えたら「残念でした、銀閣寺です」という。

そんなバカな、金閣寺は応永6年(1399年)足利三代将軍義満が建てた。銀閣寺は八代将軍義政が祖父が建てた金閣寺に倣って建てた。造営の開始が文明14年(1482年)のはずだ。なぜだ!?

京都から帰って分かった。

金閣寺は1950年(昭和25)放火により焼失して、1955年(昭和30)に再建されたのだから昭和の建物でした。

あぁそれなのに、金閣寺は1994年(平成6)ユネスコの世界文化遺産に登録された。

だましたな!

金閣寺は今見ると金ピカだが、これは、昭和30年の再建後も何度か金箔の張替えや修復が行われているから。

焼失前は、もうボロボロ、金箔も剥げ落ちていた。いやそもそも金箔は三階部分だけだったようだ。

義満が建てた当時とは外形も違っているそうな。創建当初の復元図がこちら。

 


7月2日は 半夏生

2021-07-01 21:04:35 | 虚無僧日記

7月2日は、雑節の「半夏生(はんげしょう)」。雑節とは24節の他に「彼岸」や「八十八夜」など季節を示す日。

太陽の経度が100度になる日を「半夏生」と定める。

一年の丁度半分。正月元旦から183日目で、残りは182日。折り返し地点。

「半夏生(はんげしょう)」とは、夏の半分ではなく、「半夏(はんげ)」という生薬のもとになるサトイモ科のカラスビシャクが生える頃であることから。梅雨時であり多湿で不順な頃である。田植えは夏至から半夏生の前にやることが好ましいとされている。

今日は「蛸の日」。夏バテに蛸がいいとのこと。

そして「うどん日」でもある。

 

うどん