今日は何の日。1575年(天正3年5月21日=6月29日)、長篠の合戦があった日です。
現愛知県新城市の北にある長篠城が武田勝頼に攻められ、救援に向かった織田・徳川連合軍が武田軍を設楽が原におびきよせ、鉄砲で撃破した戦争。
中学の歴史教科書などでは「初めて鉄砲が武田の騎馬軍団を打ち破った」などと、日本で初めて鉄砲が合戦で威力を発揮した戦いとされていますが・・・・。
勝敗を決めた要因は、梅雨時の最中、この日だけは晴れたということです。
信長は、桶狭間では昼に突然の雷雨が幸いして勝った。この時今川方でも鉄砲は持っていたが、雨で火縄が使えず、全く用をなさなかった。
長篠では、晴れたために、馬防柵で武田騎馬団の猛攻を防ぎ、至近距離で鉄砲を撃つことができた。この日もし雨だったら、鉄砲は用を為さず、武田の勝利となっていたでしょう。
天気も味方してくれた信長でござる。
ところで、織田・徳川の鉄砲「三千丁」というのはちょっと怪しい。原本には「一千丁」に後から「二本」線を足して「三千」となっているそうな。
そもそも武田の騎馬隊1万というのもあり得ない。馬を養える経済力、放牧場や馬小屋や餌、そして馬の世話をする人数などから考えると、せいぜい500騎がいいところ。騎馬武者一騎につき、郎党、雑兵、下僕が50人付いたとして、武田軍の総数は2500人から3,000人だったと思われる。
号令一下、千丁もの鉄砲が一斉に火を噴いたとすると、その後は 濛々たる煙で何も見えなくなるそうな。次に玉を込めるのに2~3分かかるから、その間に攻められる。
そこで300人ずつに分けて交代で撃ったであろうとは考えられる。いや、最初の号砲で馬は驚き、一斉に逃げ出してしまったという方がよりリアルである。事実正面攻撃部隊は真っ先に逃げ帰っているのだ。