今日7月13日は近世筝曲の始祖「八橋検校」の命日。
八橋は1685(貞享2)年6月12日(グレゴリオ暦の7月13日歿。なお「八橋忌」は旧暦の6月12日に墓所の常光院と法然院で行われる。
その常光院はなんと、京都の金戒光明寺内にある。金戒光明寺は、幕末 京都守護職を勤めた会津藩の本陣があった所。大きな山門の横に塔頭のひとつ「常光院」があり、その門前に琴柱を模した碑があるのをいつも目にしていた。
さて、八橋検校は、箏を習ったことがある人なら誰でも知っている『六段の調べ』の作曲者とか、京都の銘菓「八ツ橋」として知られているのですが、この双方とも伝承はいささか怪しい。
まず、お菓子の「八ツ橋」について
京都土産の定番「八ツ橋」を製造販売している会社は14社もある。
その内、最も有名な「聖護院八ツ橋総本店」と「井筒八ツ橋本舗」など6社は「金戒光明寺内常光院の八橋検校の墓参に訪れる人を対象に聖護院の森で売り出したもので、八橋に因んで筝の形を模した干菓子」と「八橋検校」説を唱えている。
これに対して、「本家西尾八ツ橋」と「本家八ツ橋」の2社は「三河の僧から制法を学んだもので、在原業平の『伊勢物語』に登場してくる三河国(現愛知県知立市)の八橋に因んで ❝橋の形❞ を模したもの」と主張している。
知立市の隣りは西尾市だが、西尾八ツ橋の西尾は経営者の「西尾松太郎・為治、為一」の姓である。