現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

ボランティア活動

2009-07-14 21:22:18 | 今後の予定
このところ、老人ホームや老人会などに出張演奏が続いている。

施設によっては、次々とボランティアが来るので、うっとうしがって
歓迎されない所もあると聞く。
「やらせてやるから勝手にやって、さっさと帰って」とばかり、
事務局員が挨拶無しの所もあった。薄給と加重労働にお疲れの
様子が顔に出ている。もちろん、明るく迎えてくれるところもある。

入居者もさまざま。結構しっかりした人ばかりのところでは、
童謡ばかりでは、「バカにするな」という顔をされる。
演歌が喜ばれる、かと思うと演歌の嫌いな奥様も。

全く反応の無い人ばかりの所もある。耳も聞こえない。ベッドで
寝たきりの人ばかり。これではやりにくいが、癒しの曲を演奏し、
それが少しでも刺激となって伝われば、職員に喜んでもらえる。
これも修行だ。

明日も初めて行く所。さてどんな出会いになるか?


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You-Tubeに私が !

2009-07-14 10:02:21 | 虚無僧日記
You-Tubeで大抵の曲が視聴できる。
「シシリエンヌ」「アランフェス」「アルハンブラ」と、
尺八に合う曲を手当たり次第に開いて見た。松井慶子も
アップされている。バイオリンの川井郁子にもはまった。

尺八で検索すると、驚いたことに外人の演奏が実に多い。
古典本曲あり、ジャズ、フュージョンあり、みな上手い。
日本人のは、おさらい会レベルが多く残念。

入江要介君の路上ライブもあった。
素人の虚無僧姿も結構あった。自分もああかと思うと
恥ずかしくなった。

虚無僧やめようかと思ったら、ななな、なんと、私の映像が
アップされていた。名古屋駅前の交差点で、夜、街灯の下に
立って尺八を吹いている。まぎれもない私だ。思い出した、
今年の冬、業務用ビデオカメラで、長々と撮っていた外人が
いた。あの時の映像だ。

紹介文
「Komuso Zen Priest Playing Shakuhachi」

私の虚無僧姿は、結構サマになっている。
素人がパホーマンスで虚無僧の格好をしているのとは違う
何かがある。安心した。明日からも虚無僧に出よう。

(他の映像は、虚無僧に恥じらいがある。恥ずかしさとテレ
からか、うつむいて天蓋が下を向く。体もフラフラして
だらしない歩き方なのだ。譜面台を立てて尺八を吹いている
などは、全くサマにならない。気をつけよう。)


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虚無僧はヒーロー?

2009-07-13 16:18:14 | 虚無僧って?
江戸時代にはいって一世紀。文楽や歌舞伎の戯作者が虚無僧を
どのように見ていたのか。江戸浅草には、 虚無僧寺青梅鈴法寺と
下総小金一月寺の出先機関があった。当時すでに「家康公の
お墨付」とやらを振りかざして、虚勢を張ってた。

歌舞伎で『仮名手本忠臣蔵』を上演するにあたっては、役者が
浅草の虚無僧寺の出先に挨拶に訪れ、金を収めて、天蓋と法器
(尺八)の使用許可を求めなければならなかったという。

こうして、歌舞伎で加古川本蔵が虚無僧として登場することに
よって虚無僧姿が錦絵に描かれ、虚無僧は人気のヒーローと
なったのだった。歌舞伎18番の『助六』も、背中に尺八を差した
虚無僧もどき。『白波五人男』も尺八を持っている。

江戸時代の虚無僧は、ひと時、ギターを抱えたロカビリー歌手、
プレスリーか石原裕次郎だったのだ。


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シシリエンヌ

2009-07-13 09:20:05 | 今後の予定
8月1日、中村生涯学習センター主催のコンサート。
ピアノの藤井さんと共演。一昨日打ち合わせをして曲目を決めた。

1 古典本曲『鶴の巣籠もり』
2 杵屋正邦『流露』
3 宮城道雄『春の海』
4 日本歌曲『荒城の月・平城山・花嫁人形』
5 フォーレ『シシリエンヌ』
6 ロシア民謡メドレー『ステンカラージン・ともしび・黒い瞳・カチューシャ』
7 『オリーブの首飾り』

フォーレの『シシリエンヌ』は、チェロの曲だったそうだが、今は
フルートで演奏されることが多いとか。尺八にも合う曲だ。
U-tubeで検索すると、20件くらい出てくる。フルートやピアノなどの
素人の発表会ビデオが堂々とアップされている。

スローテンポで慎重な演奏、アップテンポでやたらせわしいもの。
悪い例として参考になる。


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母の気功

2009-07-13 07:01:50 | 今後の予定
昨日は東京の母のもとへ。

母は、吐血したが“気”の力で治ったということを
人に話して自慢したかったのだ。話を聞いてあげる
のも親孝行。

実家の庭の草むしりを手伝って、あとは一時間ほど、
母の“手当て”を受けた。手をかざしてもらうだけだが、
私も指先がジンジンしてくる。足の指先までチクチク、
電気マッサージを受けているようだ。

名古屋に帰って、一晩蕁麻疹が出なかった。この3ヵ月、
家に帰ると蕁麻疹が出て、眠れない日が続いていたのだ。
足の魚の目も柔らかくなって、歩いても痛みを感じない。
背中の刺すような痛みもなくなった。「すい臓癌だったら、
3ヵ月の命」なんて、テレビでは脅かしてくれるが、もう
1年無事だ。

これで、薄くなった頭髪も生えてくるといいのだが。
60過ぎて、まだ髪が黒いだけでもすごいことか。

五木博之『気の発見』
「“気功”を信じない人には効かない。お互いの波動が
同調(シンクロ)して効果が出る。それは個人差もある」と。


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7/12 東京へ

2009-07-12 07:52:31 | 虚無僧日記
7/12 母からの電話で、これから急ぎ東京へ行きます。

今日は日曜だというのに演奏、講演の仕事が無い。
母が先日、6度も吐血したとのこと。「もうこれで
終わりかと、覚悟を決めたが、9月にヨン様が東京
ドームに来るので、それまでは生きなければと、
必死に頑張っている」とのこと。

由美子(私の妹)に言うと「医者に行け」とうるさく
言われるので、誰にも連絡しなかった。“気”で
治せたから、私は医者に勝った」と、相変わらず
気は強い。

そこで、私の方が「毎日蕁麻疹が出て困っている。
先日、意識を失って倒れた」と話すと、「気功を
やってあげるのですぐ帰ってくるように」と。

母の見舞いではなく、私が治療を受けに行くのだ。
ン?、東京までの往復新幹線代を考えると、医者に
行ったほうが安い??。母ゆずり、医者嫌いな私。

幸い、新幹線代は昨日入った。これもラッキー。
行ってきま~す。ルンルン。


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明暗箱

2009-07-09 08:58:31 | 虚無僧って?
山水氏からFax。「福田蘭童の『新日本膝栗毛』に“明暗箱”と
書いてあります」と教えてくれた。

 福田蘭童は明治38年生れ。巻頭に「私が20歳の春」とあるので
大正末期。「赤い襦袢に袈裟衣、“明暗箱”に天蓋といった扮装で
虚無僧の旅に出発した」とあり。P.37には「明暗と書いた“喜捨箱”
を肩からぶらさげて」と。

福田蘭童は、明治の画家青木茂と福田タネの子。蘭童の子が
クレージーキャッツの石橋エータロー。妻子ありながら女優
川崎弘子を強引に奪い、“プレーボーイ”と騒がれた。
横山勝也の父、蘭畝の尺八の師でもある。戦後、ラジオの
『笛吹き童子』で世に知られたが、尺八界では異端児。私の師
堀井小二朗とも親交があった。

『新日本膝栗毛』は昭和27年刊行。自分の虚無僧体験を書いた
本なので、20歳の時、大正時代、すでに「明暗」と書いた「偈箱」が
一般的であったことになる。しかし「偈箱」という言葉は使って
いない。「偈箱」は最近のようである。


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「高熱隋道」

2009-07-09 07:12:08 | 虚無僧日記
石原裕次郎の『黒部の太陽』は、話題の映画がだったが、
テレビ放映もDVDでの市販も禁止されているとか。その封印
された映画が、今年3月フジテレビでリメイクされ放映された。
主演は香取慎吾で、黒部ダム建設の難工事があらためて認識
された。

扇沢からトロリーバスで黒部ダムまでいくトンネルが、ドラマの
舞台だった。途中に「破砕帯」の表示がある。水温4度の冷水を
浴びながら働いた人々のご苦労を偲び、目頭が熱くなる。

トロリーバスを下りてから、トンネルの中、220段の階段を上ると
ダムを見下ろす展望台に出る。眼前に迫る岩山、急な沢には根雪が
残り、足元に巨大な黒部ダム。別世界だ。

その展望台の売店に「黒部の太陽」他、黒部に関する書が売られて
いた。売店のおじさんが、黒部のことを熱く語ってくれた。そして
勧めてくれたのが『高熱隋道』という本。「みんな知らないけど、
こっちの方がもっと大変だったんだ。300人も死んだんだから」と。

買い求めて読んだ。「黒四(クロヨン)」とは、黒部第四発電所のこと。
第四だから、第一、二、三発電所もある。黒部川沿いに、戦前に
発電所が造られていたのだ。
太平洋戦争に向かう昭和14年、軍の政策によって、第三発電所が
造られた。こちらは、トンネルを掘っていくとすぐ、熱床帯に
ぶち当たった。日ごとに温度が増し、坑道の中は炎熱地獄となった。

冷水を掛けながら掘り進むが、岩盤は100度を超え、そこへ打ち
込んだダイナマイトが爆発し、何人もの死者が出たのだ。
さらに、熱風は160度にまで達したという。「黒部の太陽」でも、
この時の工事で、身内を失った人たちや足を吹き飛ばされた親方が
黒四の工事に反対するシーンが出てくる。第四よりも過酷な工事が
あったとは。その工事に狩り出され、亡くなった人の多くが朝鮮人
だったことは、歴史の闇か。


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立山

2009-07-08 06:37:35 | 虚無僧日記
地図には明るい方だが、山岳地帯は苦手だ。
立山、剣岳、黒部の位置関係がイマイチ判らない。
それで、昨日、思い立って黒部湖まで行ってきたのだ。

以前、富山から宇奈月温泉までは行ったことがある。
宇奈月方面から黒部峡谷を登り、立山を越えて、黒部湖に
下り、大町側に抜けるアルペンルートが開かれたが、
マイカーは通れない。関西電力が運営するトロリーバス、
ケーブルカー、ロープウェイを利用して、立山の反対側に
抜ける。今では、お年寄りでも、軽装で越えられる。

だが、400年前、富山の佐々成政は、この立山を厳寒の冬に
8日もかかって越えたのだ。日本登山史に記録されるべき
快挙。歴史では知っていたが、行ってみて、あらためて、
そのすごさを感じる。徳川家康の家臣たちは、その行動を
褒め称えもすれば、軽挙妄動とあざ笑う者もいたとか。

結局、佐々成政は家康を動かすことができず、すごすごと
同じ道を辿って富山に帰った。往復したのだ。



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黒四ダムへ

2009-07-07 20:14:13 | 虚無僧日記
7/7 突然思いたって、黒部ダムまで行ってきた。
早朝4時に名古屋を発って、中央道を松本の次の
豊科まで行き、一般道を大町経由扇沢まで走る。
マイカーはここまで。あとはトロリーバスでダム
まで行く。日本にもこんな大自然があったのかと
驚く。その雄大さに圧倒されるが、ここにダムを
造った人間の叡智と努力にも驚嘆する。

映画『黒部の太陽』でも知られるようになったが、
扇沢から資材を運ぶためのトンネルを掘るのが
大変だったのだ。破砕帯という軟弱な地盤にぶち
当たり、崩れる土砂と大量の水に悩まされたのだ。

売店のおじさんから、「戦前、仙人谷ダムの第三
発電所を建設した時は100度以上の熱湯が吹き出て、
300名もの犠牲者が出た。ここよりもっと大変だった」
と教えられる。吉村昭の小説『高熱隋道』は、黒部の
第三発電所建設にからむ話だったと知る。

それにしても、私は晴れ男。梅雨のさ中であるが、
走行中は降ったり止んだり。SAでの休憩時と、黒部
ダム見学の間だけ晴れた。名古屋から往復500km。
15時間の旅。平日とあって観光客はお年寄りの
ツアーのみ。空いていて快適であった。

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