現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

ミタ語「承知しました」こそ流行語大賞では?

2011-12-24 15:22:06 | 虚無僧日記
今世紀初!「ミタ」最終回、視聴率40%(サンケイスポーツ) - goo ニュース

「流行語大賞」に「なでしこジャパン」というのは
納得がいかない。「なでしこジャパン」は女子サッカー
チームの名称であって、会話の中で頻繁に使われる
語彙ではない。

『家政婦のミタ』が 半年早く放映されていれば「ミタ語」が
流行語大賞になったであろう。

今や小学校でも大流行。以前は「かんけいねぇ」とか
“悪い”言葉が流行って、テレビの悪影響が問題視されて
いたが、それが『家政婦のミタ』で一変したそうだ。

先生の言うことはすべて、「承知しました」と素直に受ける。
難しい、面倒な指示でも「それは業務命令ですか?」と。
そして「命令です」には「承知しました」と言って、嬉々
として受ける。

「この問題できますか」には「できます」。
「○○は持っていますか」には「あります」。と
すべて肯定。忘れモノもなくなった。

もうひとつ。自分達の解決つかない問題も「それは
あなた(たち)が決めることです」とキッパリ突き放す。
こどもたちに考えさせ、決断させることができるように
なった。

こども達は、松嶋菜々子の あの無表情な顔、直立不動の
姿勢を真似て、ヘラヘラ、チャラチャラ動き回ることも
なくなった。

すべて良いことづくめだ。「家庭崩壊」だけでなく
「学級崩壊」にも『家政婦のミタ』は救世主となった。
「テレビの力」だ。そして「テレビ離れ」に歯止めを
かけたか。「地デジ移行」以来テレビを全く見なく
なった私でも、見たのだから。

「ハゲ鷹」?「はげ鷲」?

2011-12-23 10:04:07 | 虚無僧日記
中日新聞に「ハゲ鷹(タカ)」は俗称で、「ハゲ鷲(ワシ)」が
正式名称との記述があった。

「Wikipedia」では、たしかに

「ハゲタカ(禿鷹)= ハゲワシ類またはコンドル類の俗称」とある。

では「鷹(たか)」と「鷲(わし)」はどうちがうのか。「鷲」は
「タカ目タカ科」に属する鳥のうち、「オオワシ、オジロワシ、
イヌワシ、 ハクトウワシなど、比較的大き目のものを指す通称」
とのこと。つまり「鷲」も「鷹」も同一科で、ただ、大きいのを
「鷲」、小ぶりなのを「鷹」と言っているのだそうだ。

ついでに「鳶(とび)」も「タカ科」。ても「隼(はやぶさ)」は
「タカ目」だが「はやぶさ科」となる。


さて「ハゲタカはコンドルの俗称」ともあったが、コンドルは
「タカ目(もく)」でも「コンドル科」に分類されている。

ということで、「ハゲ鷲」も「コンドル」も、同じ「タカ目」
なのだから「ハゲタカ」で いじゃん。

そんなことに いちいち“目くじら”立てとる私の頭も だいぶ
“禿げたか”。






「家政婦のミタ」よりお題頂戴しました「加勢風と三田」

2011-12-22 22:20:05 | 虚無僧日記
乗りやすい私。尺八独奏曲2題のタイトルが決った。
「家政婦の三田」をもじって『加勢風(かせいふう)』と
『三田(さんた)』。

古典尺八曲に『三谷』がある。ならば「谷」では
なく「田んぼ」で『三田』。

東京の港区三田(みた)は慶応義塾のあるところ。
「三田会」といえば慶応のOB会。

兵庫県には「三田(さんた)市」がある。「三田牛」で
有名。江戸時代は志摩の「鳥羽藩」から「九鬼久隆」が
3万6千石で入封し、廃藩置県までの約240年間、九鬼氏が
統治した。

九鬼氏の先祖は「九鬼水軍」。風頼みの水軍だ。
織田信長に仕え、石山本願寺(現大阪)攻めには
燃えない「鉄甲船」で 毛利水軍を撃破した。

伊勢朝熊山の金剛證寺には、九鬼嘉隆の肖像画
「紙本著色九鬼嘉隆像」が残され重要文化財に
指定されている

今、熊野本宮の宮司は「九鬼氏」の末裔「九木」氏。

今度は、兵庫県の三田市に虚無僧で行ってくるべい。





死亡ゼロの洋野町に学ぶ

2011-12-22 22:17:59 | 心の問題
東日本大震災で、死者・行方不明者がゼロだった
岩手県の「洋野町」が注目されている。

洋野町は南北に長い人口1万9,000人の町。同地区は
過去、度々津波の被害に遭ってきたにもかかわらず、
防潮堤が整備されていなかった。

それだけに、日頃から、津波に備えて“逃げる”
訓練をしていた。消防団による 低地へ通じる道の封鎖、
10分足らずで水門を閉めれた手際良さは 訓練の賜物。

避難路、避難場所の整備、避難訓練を怠り無く実施して
きた。その過程で「消防団員」の意識改革があった。

「とにかく逃げろ」。過去の津波被害の教訓から、
消防団員も、初期の任務を終えたら、まっ先に逃げる
ことを徹底した。消防団員が逃げることで、町人の
危機意識が高まり、大勢の人が後に続いて一目散に
逃げれたという。


10mもの堤防があるからと“安心”しきって、避難
訓練もロクにせず、多くの死亡者を出した町と、
堤防が無いからこそ“逃げる”訓練をしていた洋野町。

こんな話しは、他にもありそうだ。

環境が整いすぎて、勉強をしなくなった子供たち。
昔は、机も文房具も無い中、努力工夫して勉強した。

楽譜もテープレコーダーも無かった時代は、当たり
前に暗譜していたのが、ハードが揃ってしまったら、
暗譜もしなくなって、技術の伝承が廃れた。

「環境整備は人をダメにする」。教訓とすべし。


22日冬至から 2月4日まで寒修行

2011-12-22 21:09:10 | 虚無僧日記
22日は冬至。1年で一番夜の長い日。名古屋の日の出は 6:57。
まだ うす暗い中でラジオ体操が始まり、体操が終わる頃、
ようやくお互いの顔が判るようになる。日の入りは 16:44.

冬本番になり、風邪をひいたり、脳卒中などが増える。
そこで「冬至かぼちゃ」に「ゆず湯」で温まるとよいと
される。

「かぼちゃ」はカロチンやビタミンAが豊富で、肌を
ツヤツヤにし、動脈硬化、中風の予防になるとか。
昔の人は、化学分析も無く、経験から そのような効能に
気づいていたのだから不思議。

また、「明日からは、陽もまた延びる」というので、
「運を転じる。悪いことが続いたあとでも、幸運に
向う日」とされる。

「かぼちゃ」は、異名「なんきん」。「なんきん」だけでなく、
冬至には「ん」のつく食べもの、「にんじん」「れんこん」
「ぎんなん」「きんかん」「かんてん」「うどん」などを
食べると、運がつき、病気にかからないとも。

そこで 今日は、名古屋名物の「みそ煮込みうどん」に
「かぼちゃ」と「にんじん」「ゆず」を入れて食べた。

ようやく寒波襲来で、冬らしく なってきた。虚無僧には
寒風が似合う。いよいよ虚無僧の出番。今日から2月4日の
「節分」まで「寒修行」。朝3時起きで「水垢離」。
気合ダァ!

「断捨離」で、部屋も心もすっきり

2011-12-22 12:14:48 | 虚無僧日記
気になっていた風呂場と洗面所の大掃除をした。
洗濯機の裏側など真っ黒にホコリがたまっていた。

大掃除で、棚から歯ブラシが10本も出てきた。
鋏(はさみ)もカッターも定規も5本ずつある。
サインペンの類は何十本もある。
いつのまにか たまったモノをどんどん処分。

「いつか使うかもしれない」なんて思うことが
“心のムダ”。その時は また買えばいい。

とにかく価格破壊はすごい。昨日 買いにいったら、
ベルト 300円、靴下 50円、ネクタイ38円。足袋も
480円。

ただし、当然「安かろう、悪かろう」は覚悟の上。
すぐ ダメになる。安モノはたいてい中国製。
日本人が中国で製造しているもので、最近は
現地の中国人でさえ「ニッポン人は こんな
粗悪品を よく使うね」と あきれているとか。

人もモノも“使い捨て”の時代を生き抜くための
発想の転換が必要だ。

「断捨離」は「執着を捨てた生き方」の提唱。
稽古場でもあるリビングには何も置かず、
書き物などの作業は4畳半の部屋ですることに
した。これで暖房費もかなり浮く。

私も見た「家政婦のミタ」

2011-12-22 11:49:33 | 虚無僧日記
「家政婦のミタ」笑顔、最終回視聴率は40%(読売新聞) - goo ニュース

昨日は 虚無僧修行もブッチして、9時に帰宅し、私も見た。
『家政婦のミタ』。

松嶋菜々子は はたして笑うのか、最終回は、視聴率が40%。
連続ドラマで視聴率が40%台になったのは、2000年3月に
放送された「ビューティフルライフ」以来11年ぶりとか。

夜10時放送の番組だが、9時から1時間、前9回分の
ダイジェスト版を流してくれ、ストーリーが把握できた。

『家政婦のミタ』は、夫の不倫、妻の自殺による家族崩壊
という、現代が抱える問題を、「家政婦のミタさん」が
無表情に、それぞれの頼みを完璧に実行するという奇策?で
解決していく。崩壊した家族の再生に「笑顔」は無益という
ことを知らしめてくれた。

3.11で家族を失った人たちに、笑顔は無力だったこととも
相通じる。最終回で見せた松嶋菜々子の笑顔は最高に美し
かった。

「自分の笑顔が他人を不幸にする」というトラウマ。
「父親も夫も子供も、義弟まで失ったという十字架を
背負って、一生笑えない」と心に決めつつも「小さな
灯りが見えてきた」という。「三田さん」の名前は
「灯(あかり)」。誕生日は 12月25日。「三田」さんは
「サンタ」さんにも通じる。

このシナリオ構成は、どこまでも憎いくらい完璧。


「癌になったおかげで」鳥越氏の話

2011-12-21 12:47:41 | 心の問題
ジャーナリストの鳥越俊太郎氏が、癌に侵され、四度の
摘出手術を受けて、癌と闘っている心境を語っている。

癌と宣告された時、家族は嘆き悲しんだが、当の自分は、
むしろ強い好奇心で癌患者の自分を観察してやろうという
意欲が湧いた。

興味津々で受けた手術は、麻酔で眠っているうちに
あっというまに終わってしまったが、その後が大変。

夜中に、激しい痙攣が起き、ナースコールのボタンを
押すこともできない。運よく見回りに来た看護士に
助けを求めると、「手術後にはよくあることです」と、
震え続ける自分を残して スタスタ行ってしまった。

医者や看護士には当たり前の経過でも、患者にとっては
初めてのこと。事前に説明でもあれば安心するものを
一時は「死ぬのか」と不安に怯えた。

その後、癌は肺や肝臓にも転移して、四度も手術を
受ける。ここまで進行すれば「死」を意識せざるを
得ないが、自分は「死」は いつかは必ず訪れるものと
達観している。

「残された時間は長くはない」と意識はじめたことで、
残された日々を大切に 力いっぱい生きようと、新しい
ことに挑戦することにした。スポーツジムに通い、
さらに社交ダンスも再開。

がんになった“おかげ”で、規則正しい生活を心がけ、
心身ともに健康になった。仕事も以前より3倍に増えて、
今が一番忙しく、充実した人生を送っている と。

癌患者のみならず、多くの人を勇気付けてくれる話だ。

「金正日」にお悔やみの是非

2011-12-21 11:12:55 | 虚無僧日記
金正日総書記死去 韓国「北の住民に弔意」 日米も対応苦慮(産経新聞) - goo ニュース


金正日の死去の報に、韓国政府は「北朝鮮の住民に弔意を表す」とし、
「金正日」への直接的な弔辞は無かった。

米国も、クリントン国務長官が「北朝鮮住民の状況を深く懸念し、
困難なときにある彼らのことを思い、祈っている」と述べるに
とどまった。

1994年の「金日成」主席の死去時に、当時のクリントン
大統領が弔意を示す談話を発表し、批判が出たそうな。

さて、日本は「藤村 修」官房長官が19日の記者会見で
「哀悼の意」を表し「不適切だ」などの声が上がっている。

そこで思い起こされるのが、鈴木貫太郎。太平洋戦争の末期の
1945年(昭和20)年4月、鈴木貫太郎が 4月7日 内閣総理大臣となり、
その直後の 4月12日にアメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトが
亡くなった。

鈴木貫太郎首相は、「今日、アメリカがわが国に対し優勢な戦いを
展開しているのは、亡き大統領の優れた指導があったからです。
私は深い哀悼の意をアメリカ国民の悲しみに送るものであります。
しかし、ルーズベルト氏の死によって、アメリカの日本に対する
戦争継続の努力が変わるとは考えておりません。我々もまた
あなた方アメリカ国民の覇権主義に対し 今まで以上に強く戦います」
という談話を世界へ発信した。

一方、ナチス・ドイツの総統アドルフ・ヒトラーは、敗北寸前だったが、
ルーズベルトを口汚く罵った。アメリカに亡命していたドイツ人作家
トーマス・マンは鈴木の談話に深く感動し、英国BBCで「ドイツ国民の
皆さん、東洋の国日本にはなお騎士道精神、人間の死への深い敬意と
品位が確固として存する。鈴木首相の高らかな言葉の精神に比べ、
あなたたちドイツ人は恥ずかしくないですか」と題して声明を発表し、
鈴木の武士道精神を称賛した。

さて、今の日本には「武士道」なんて言われても気恥ずかしい
かぎり。

「坂の上」に行きついた先は、

2011-12-19 14:05:19 | テレビ・映画・芸能人
司馬史観は、明治維新以降の日本が辿ってきた道のりを
正当化するもので、以前の私なら、すべてに納得し、
感動し、日本人を誇りに思ったものだが・・・・。

これも「洗脳教育」にあやつられた結果か。

「歴史に“もし”は無い」が、あの時、日本が
ロシアに挑まなければ、朝鮮半島はロシアの植民地と
なったであろう。でも、それならそれで、良かった
のでは?と思えてきた。どうせ、ロシア帝国は
共産革命で崩壊し、その後のソビエト連邦も内部
崩壊したのだから。

「同じ極東のアジア人として、同朋(朝鮮)を助けな
ければ」という大義名分を振りかざしても、その
結末が、韓国から「慰安婦の賠償」を求められる
というのでは、それこそ「ありがた迷惑、余計な
おせっかい」だった。

それが、『坂の上の雲』が いまひとつ盛り上がら
ない理由か。