1992年の1年間、群ようこさんが何をやっていたか、が書いてある。文学的価値があるかどうかは分からないが、売れっ子作家の日常が垣間見え、とても楽しい。
その中に、カルチャーセンター講師として呼ばれた時の事が、回想として書かれてある。
授業が終わった後、一人の生徒に声をかけられた。彼女は、自分の原稿に対する群さんの批評が気に入らないと怒っているらしい。
そして「私だって、本の雑誌社に勤めていたら本の一冊ぐらい出せた」「本を出してズルイ」「地方出身者に比べ、あなたは苦労していない」などと、ぐちぐち文句をたれていた。
こういった箇所があるが、なるほど群ようこぐらいの文章だったら私にも書けるわ!!と内心思っている人は沢山いるのではないか?
この文句タレ子さんだって、確かに何かのツテで本の雑誌社に勤めていたら、本の一冊ぐらい出せたかもしれない。
しかし、問題なのはその後続くか、である。やっぱりこれだけ群ようこさんが売れっ子になるというのは、それだけの能力が彼女にあったからである。
海月ルイが新聞のコラムに書いていたが、現代の日本で本当に実力があり努力していれば、認められないわけがない。(戦争中の日本では才能が埋もれてしまう可能性もあったが)
つまり、この文句タレ子さんが認められないのは、才能や努力が足りない、ということだ。酷な言い方かもしれないが、私もそう思う。
群さんは、本についてのエッセイを書くのが一番好きな仕事、とおっしゃっていた。私も、群さんの作品のなかで、そのジャンルが一番好きだ。
その中に、カルチャーセンター講師として呼ばれた時の事が、回想として書かれてある。
授業が終わった後、一人の生徒に声をかけられた。彼女は、自分の原稿に対する群さんの批評が気に入らないと怒っているらしい。
そして「私だって、本の雑誌社に勤めていたら本の一冊ぐらい出せた」「本を出してズルイ」「地方出身者に比べ、あなたは苦労していない」などと、ぐちぐち文句をたれていた。
こういった箇所があるが、なるほど群ようこぐらいの文章だったら私にも書けるわ!!と内心思っている人は沢山いるのではないか?
この文句タレ子さんだって、確かに何かのツテで本の雑誌社に勤めていたら、本の一冊ぐらい出せたかもしれない。
しかし、問題なのはその後続くか、である。やっぱりこれだけ群ようこさんが売れっ子になるというのは、それだけの能力が彼女にあったからである。
海月ルイが新聞のコラムに書いていたが、現代の日本で本当に実力があり努力していれば、認められないわけがない。(戦争中の日本では才能が埋もれてしまう可能性もあったが)
つまり、この文句タレ子さんが認められないのは、才能や努力が足りない、ということだ。酷な言い方かもしれないが、私もそう思う。
群さんは、本についてのエッセイを書くのが一番好きな仕事、とおっしゃっていた。私も、群さんの作品のなかで、そのジャンルが一番好きだ。