そうだよねー! 「昔々 ある所に お爺さんとお婆さんが住んでおりました」というのが、昔話導入部の定番。
こういうものだと私は気にも留めなかったが、筆者の大塚さんは、すごーく気になったらしい。自分なりに分析して、3つの理由を挙げている。
① 社会的地位の低い老人が、老人ならではの知恵や体力のなさ、鈍感さで成功を収めるという「逆転の面白さ」があるから。そりゃそうだ!金持ちや身分の高い人という強者が、成功したって、当然のことで面白くもなんともない。
弱者である貧しく体力の衰えた老人が、超自然的な力で成功するといったギャップに読者は喝采をおくる。
② 極端化した老人のキャラが、人間の二面性という真理を語るにふさわしいから。そうそう、良いお爺さんの家の隣には、必ず悪いお爺さんが住んでいるのです。
③ 昔話の語り手が老人だったから。これ、大きいと思う。語り手は、主人公とダブるもの。物語を借りて、自分の考えや体験や希望を述べている。
私たちには、漠然と、昔の年寄りは大勢の子や孫に囲まれて楽隠居しているイメージがある。でも、それは、江戸時代、武家社会に「親孝行」「老人を敬おう」という儒教思想が広まったからで、それ以前は、生産性の低い老人は、本当に邪魔者扱いされていた。
だいたい、金のない男は結婚できなかった。一夫多妻制なので、金のある男のもとに何人も女が集まる。
姥捨て伝説は、あくまで伝説であって、老人を捨てたという決定的な証拠はない、と大塚さんは書いている。でも、無い訳ないじゃん!! というのが私の考え。
だって、飢饉の時に人肉まで食べたんだもの。ちょっと不作の年には、年寄りに食べさせる物なんかないよ。
しかし、「70歳になったら、ここらの年寄りは皆、姨捨山に行く」という不文律があったら、さほど抵抗なく従うんじゃないかな?
人間の幸せ不幸せの感覚は、周囲との比較で決まる…と思う。隣の爺もその隣の婆も、みんな数え70歳で姨捨山に行った。わしも、来年70だから行くんだな、と心構えのようなものができると思うよ。
こういうものだと私は気にも留めなかったが、筆者の大塚さんは、すごーく気になったらしい。自分なりに分析して、3つの理由を挙げている。
① 社会的地位の低い老人が、老人ならではの知恵や体力のなさ、鈍感さで成功を収めるという「逆転の面白さ」があるから。そりゃそうだ!金持ちや身分の高い人という強者が、成功したって、当然のことで面白くもなんともない。
弱者である貧しく体力の衰えた老人が、超自然的な力で成功するといったギャップに読者は喝采をおくる。
② 極端化した老人のキャラが、人間の二面性という真理を語るにふさわしいから。そうそう、良いお爺さんの家の隣には、必ず悪いお爺さんが住んでいるのです。
③ 昔話の語り手が老人だったから。これ、大きいと思う。語り手は、主人公とダブるもの。物語を借りて、自分の考えや体験や希望を述べている。
私たちには、漠然と、昔の年寄りは大勢の子や孫に囲まれて楽隠居しているイメージがある。でも、それは、江戸時代、武家社会に「親孝行」「老人を敬おう」という儒教思想が広まったからで、それ以前は、生産性の低い老人は、本当に邪魔者扱いされていた。
だいたい、金のない男は結婚できなかった。一夫多妻制なので、金のある男のもとに何人も女が集まる。
姥捨て伝説は、あくまで伝説であって、老人を捨てたという決定的な証拠はない、と大塚さんは書いている。でも、無い訳ないじゃん!! というのが私の考え。
だって、飢饉の時に人肉まで食べたんだもの。ちょっと不作の年には、年寄りに食べさせる物なんかないよ。
しかし、「70歳になったら、ここらの年寄りは皆、姨捨山に行く」という不文律があったら、さほど抵抗なく従うんじゃないかな?
人間の幸せ不幸せの感覚は、周囲との比較で決まる…と思う。隣の爺もその隣の婆も、みんな数え70歳で姨捨山に行った。わしも、来年70だから行くんだな、と心構えのようなものができると思うよ。
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