子供の頃飼っていた猫と、そっくりな猫を駐車場で見つけたサトルは、その猫が交通事故にあったのをきっかけに、ナナと名付け自分で飼うことにする。
それから5年。やむをえない事情があって、ナナを手放すことになったサトルは、動物好きな旧友たちに連絡を取り、新しい飼い主を探そうとするが…。
しみじみ泣いちゃった。我が家にも今、茶トラのオスが1匹いるけど、子供の頃かった猫って、本当に特別。今でも思い出す。ミーコっていった。
私の小学校低学年の頃と言ったら、昭和40年代の前半。猫を室内で飼うという発想がなく、飼い猫でもごはんだけ飼われている家で食べて、あとは自由に外で遊び放題。避妊や去勢手術もまだ一般的じゃなくて、発情期になると何日も家に帰って来ないこと、ザラだった。
ねこ砂なんて、もちろんなくて、道路も未舗装の部分が多かったので、猫ちゃんたちはササッと用を足し、パパッと砂をかけて、素知らぬ顔で戻って来ていた。
ミーコは、子猫の時に拾われたんじゃなくて、大人猫になってから、猫好きな母がご飯をあげたら居ついてしまった猫。あまり器量が良くないと、母は不満なようだったが、おとなしくて優しくて頭が良い猫だった。ウチに来る前にも、どこかで飼われていたんだろう、人懐こい猫だった。
高校の頃、ニャンというシャムネコっぽい猫がいたが、こちらはすごく気性が荒くて、引っかいたり噛みついたりしたので、やっぱり猫でも性格がすごく違うんだと、驚いた覚えがある。
小学校の頃、分団登校の集合場所に行くまでの短い時間、ミーコを膝に乗せ、ひっくり返して(お腹の毛が白っぽく薄くなっているので、猫のノミが動くのがよく見えた)ノミをプチンプチンとつぶすのが好きだったなぁ。
これを自分の子どもたちに話すと、「うえっ、汚いっ!!」て蔑むが、昭和40年代前半、猫にノミがいるのは当たり前だったんだ。飼い猫でも。
ああ、いい時代だったなぁ。今みたいに、20歳以上生きる猫なんて皆無だった。皆、短命だったが、楽しい猫生を送れたと思う。
それから5年。やむをえない事情があって、ナナを手放すことになったサトルは、動物好きな旧友たちに連絡を取り、新しい飼い主を探そうとするが…。
しみじみ泣いちゃった。我が家にも今、茶トラのオスが1匹いるけど、子供の頃かった猫って、本当に特別。今でも思い出す。ミーコっていった。
私の小学校低学年の頃と言ったら、昭和40年代の前半。猫を室内で飼うという発想がなく、飼い猫でもごはんだけ飼われている家で食べて、あとは自由に外で遊び放題。避妊や去勢手術もまだ一般的じゃなくて、発情期になると何日も家に帰って来ないこと、ザラだった。
ねこ砂なんて、もちろんなくて、道路も未舗装の部分が多かったので、猫ちゃんたちはササッと用を足し、パパッと砂をかけて、素知らぬ顔で戻って来ていた。
ミーコは、子猫の時に拾われたんじゃなくて、大人猫になってから、猫好きな母がご飯をあげたら居ついてしまった猫。あまり器量が良くないと、母は不満なようだったが、おとなしくて優しくて頭が良い猫だった。ウチに来る前にも、どこかで飼われていたんだろう、人懐こい猫だった。
高校の頃、ニャンというシャムネコっぽい猫がいたが、こちらはすごく気性が荒くて、引っかいたり噛みついたりしたので、やっぱり猫でも性格がすごく違うんだと、驚いた覚えがある。
小学校の頃、分団登校の集合場所に行くまでの短い時間、ミーコを膝に乗せ、ひっくり返して(お腹の毛が白っぽく薄くなっているので、猫のノミが動くのがよく見えた)ノミをプチンプチンとつぶすのが好きだったなぁ。
これを自分の子どもたちに話すと、「うえっ、汚いっ!!」て蔑むが、昭和40年代前半、猫にノミがいるのは当たり前だったんだ。飼い猫でも。
ああ、いい時代だったなぁ。今みたいに、20歳以上生きる猫なんて皆無だった。皆、短命だったが、楽しい猫生を送れたと思う。