実はこの短編には、すごく思い出がある。高校の時、現国の試験に、この短編の一部分が出題されたのだ。それだけだったらキレイさっぱり忘れるだろう。
しかし、この作中に「御坂峠から見た富士は、昔から富士三景の一つに数えられているが、私は好かない。まるで風呂屋のペンキ絵だ。どうにも注文通りの景色で、私は恥ずかしくてならなかった」といった意味の記述があり、その「恥ずかしくてならなかった」という箇所が問題に出され、私の隣の席の真性理系の秀才クンが、こんな問題、分かる訳ないだろう!!とえらく怒っていたのだ。
45年も前の話だが、鮮明に覚えている。あの子、どうしているだろう。一流企業に勤めただろうが、もう定年だね。
話を戻そう。この短編は、昭和13年、太宰が師事している井伏鱒二が滞在している御坂峠に会いに行く時の話。(太宰の作品に漂うほのかなユーモアは、井伏の影響なんだろう。特に中期の作品)
井伏が自宅に戻っても、太宰はそのまま滞在を続け仕事する。彼が御坂峠にいることを知り、地元の文学青年たちが集まって来て、先生先生と彼を呼ぶ。
「私には誇るべき何もない。学問もない。才能もない。肉体よごれて心もまずしい。けれども苦悩だけは、その青年たちに先生といわれて、だまってそれを受けていいくらいの苦悩は経てきた。たったそれだけ。わら一すじの自負である。けれども、私はこの自負だけは、はっきりと持っていたいと思っている。わがままなだだっこのように言われてきた私の、裏の苦悩を、いったい幾人知っていたろう。」(本文より)
ああ、カッコイイねえ。青年たちが引き付けられるのも分かるなぁ。
冬となり、井伏がもってきた太宰の結婚話が、なんとかまとまりそうな所で、この短編は終わる。結婚相手となる娘さんの御母堂が「あなたおひとり、愛情と、職業に対する熱意さえお持ちなら、それで私たち、けっこうでございます」と言う。ああ、なんて気品に満ちた言葉だ。太宰も感激している。でも、最終的には、彼は彼女と結婚しても、他の女の人と心中しちゃうんだよね。
話はガラッと変わる。私は、名古屋市中区富士見台という所に友人がいて、年賀状を書く時にいつも「ああ、昔はあそこから富士が見えたんだな」と感慨に浸るのだが、北斎の富嶽三十六景の中の一枚に、この中区富士見台から見た富士の画があるんだ!! この事を知った時、感動した。北斎先生、ありがとう!!
しかし、この作中に「御坂峠から見た富士は、昔から富士三景の一つに数えられているが、私は好かない。まるで風呂屋のペンキ絵だ。どうにも注文通りの景色で、私は恥ずかしくてならなかった」といった意味の記述があり、その「恥ずかしくてならなかった」という箇所が問題に出され、私の隣の席の真性理系の秀才クンが、こんな問題、分かる訳ないだろう!!とえらく怒っていたのだ。
45年も前の話だが、鮮明に覚えている。あの子、どうしているだろう。一流企業に勤めただろうが、もう定年だね。
話を戻そう。この短編は、昭和13年、太宰が師事している井伏鱒二が滞在している御坂峠に会いに行く時の話。(太宰の作品に漂うほのかなユーモアは、井伏の影響なんだろう。特に中期の作品)
井伏が自宅に戻っても、太宰はそのまま滞在を続け仕事する。彼が御坂峠にいることを知り、地元の文学青年たちが集まって来て、先生先生と彼を呼ぶ。
「私には誇るべき何もない。学問もない。才能もない。肉体よごれて心もまずしい。けれども苦悩だけは、その青年たちに先生といわれて、だまってそれを受けていいくらいの苦悩は経てきた。たったそれだけ。わら一すじの自負である。けれども、私はこの自負だけは、はっきりと持っていたいと思っている。わがままなだだっこのように言われてきた私の、裏の苦悩を、いったい幾人知っていたろう。」(本文より)
ああ、カッコイイねえ。青年たちが引き付けられるのも分かるなぁ。
冬となり、井伏がもってきた太宰の結婚話が、なんとかまとまりそうな所で、この短編は終わる。結婚相手となる娘さんの御母堂が「あなたおひとり、愛情と、職業に対する熱意さえお持ちなら、それで私たち、けっこうでございます」と言う。ああ、なんて気品に満ちた言葉だ。太宰も感激している。でも、最終的には、彼は彼女と結婚しても、他の女の人と心中しちゃうんだよね。
話はガラッと変わる。私は、名古屋市中区富士見台という所に友人がいて、年賀状を書く時にいつも「ああ、昔はあそこから富士が見えたんだな」と感慨に浸るのだが、北斎の富嶽三十六景の中の一枚に、この中区富士見台から見た富士の画があるんだ!! この事を知った時、感動した。北斎先生、ありがとう!!