2021年 ロシアで29歳の男が
妻の肌を「綺麗だ。」と称賛した皮膚科医に
大怪我を負わせて逮捕されました。
逮捕された男は、
「行き過ぎた褒め言葉は、医師の業務を越えている。」
と供述。
この男が帰宅した妻から話を聞いて
これは捨て置けないと皮膚科医の所まで乗り込み、
即暴行に及んだのか、
当初は暴行するつもりは無かったけれども
猛抗議への皮膚科医の態度に激怒して暴行に及んだのか。
誰かが話す言葉には、
意識的に誇張したものではないにしても
何らかの無意識的な脚色が加わっているものですし、
また聞く方も無意識的な脚色を加えて受け取りがち。
なので愛する妻から聞いた言葉でも
また自分がその場で聞いたことでも
受け取り方、理解の仕方、把握したことが
そのまま事実とは限らないんですよね。
まあ私が記事の文面を読んで
素直に理解、把握した状況は、
この男が、その場で、その言葉を聞いて激怒して
即暴行に及んだとなるのですが、
皮膚科医とのいくらかのやり取りにおいて
皮膚科医が話した内容についの説明や弁明の言葉が
男は、誤魔化そうとしていると理解して
弁明や説明が火に油を注ぐ結果となり、
怒りが多くなり、暴行に及んだのかも知れませんし、
あるいは、皮膚科医が男の聞く耳を持たない
一方的な非難を浴びせられたことで腹を立ててしまい
「ごちゃごちゃとウルサイねん。
そんなに心配なら家から一歩も出すんじゃねえ!」
とか言い返したことで
男の怒りに油を注いだとしたら印象が少し違ってきます。
もしかしたら有り得ないと思いますが
皮膚科医が、舌なめずりをして
息がかかりそうな位に顔を近づけて
はあはあはあと息遣いも荒く、
「ウヒウヒデヘデヘ、奥さんの肌堪らないっすねえ。
しゃぶってしまいたいっす。」
なんて言い方をしていれば、また印象も違ってきます。
映画「羅生門」に描かれているように
同じ一つの出来事を見ても
その個人の受け取り方によって
複数の出来事がそこに生まれたりするものです。
ただ皮膚科医の発した言葉が
行き過ぎた褒め言葉であったとしても
態度がどうであったとしても
大抵の場合は、殴るのは行き過ぎだし、
ましてや大怪我負わすような激しいものなのは尚更です。
相手に大怪我を負うほど殴られても当然だ。
私には、大怪我をさせるほど殴るだけの正当性がある。
と、起した行動は、今回、皮膚科医に向かいました。
自分が見聞きし自分の理解の仕方が事実だと処理して
脊髄反射的に強い衝動にまかせて行動をしたとするなら
この男の激情性と暴力性が場合によっては、
回りの知人や、妻へと向かうことがあっても
おかしくないと危惧してしまいます。
異性に心を奪われることは、大きな喜びであり、
必要不可欠なこと。
しかし、それが人生の中心になってはいけません。
もしそうなったら人は道を見失ってしまう。
by アインシュタイン。