1999年 アメリカのバーモント州で
88歳で亡くなった男性は、
自分の死後に飼っていた2頭の馬と共に
埋葬してくれと遺言していました。
しかし、裁判所は残酷だとして
遺言状の執行を差し止めました。
主君や夫等の死を追って臣下や妻等が死ぬことは、
古代のエジプト、古代中国、日本などにおいても
みられたようです。
日露戦争で陸軍を率いて旅順攻略した乃木将軍(写真)は、
日本海海戦でロシアのバルチック艦隊を撃破した
東郷平八郎元帥と共に日本の英雄の凱旋として大歓迎されました。
しかし、乃木将軍本人は
旅順攻撃で多数の将兵を戦死させたことに
「戦死して骨となって帰国したい。」と自責の念を感じていて
各方面で催された歓迎会の招待を全て断ります。
そして、明治天皇の御前で旅順攻撃の際の報告を
涙声で読み上げながら
最後に多数の死傷者を生じた罪を償いたいと述べました。
しかし、明治天皇は、
「乃木の苦しい心境は理解したが今は死ぬべき時ではない。
どうしても死ぬと言うのであれば朕が世を去った後にせよ。」
といった趣旨を述べたとされています。
明治40年に明治天皇は、
後の昭和天皇が学習院に入学することから
教育を乃木将軍に託すべく学習院長に指名しました。
このことは私見ですが、その人柄、知識、経験などから
適任だと考えたのは当然のことながら
昭和天皇の教育に携わることで新たな責任を持たし
明治天皇が崩御した後も乃木将軍には
生き続けてもらいたいとの気持ちがあったと思っています。
大正元年、明治天皇の国葬が行われた日の午後8時頃、
乃木将軍は、妻の静子と共に自刃して亡くなります。
(十文字に割腹後、咽喉を突き刺して)
乃木将軍の死は、明治天皇を追い殉死したとも見れますが、
戦争で多くの国民の命を散らさせてしまったことへの
日本国、日本国民に対する半端ない責任と覚悟を持って
職責を果たしていた気持ちの表れだと思います。
現代の価値観からすると賛否両論が有るかと思いますが、
昔の日本人、武士の生き様なんでしょうね。
私は、自死することには肯定できません。
現代の政治家の方々に乃木将軍と同じ
責任の持ち方を身の処し方を求めはしませんが、
そのような気持ちだけは失ってもらいたくないものです。
馬二頭を共に埋葬を望んだ遺言の執行停止の判決。
GJ!と言うか当たり前かな。
愛した馬ならばこそ、愛してもらえる人の元で
その後も幸せに生を全うすることを願おうよ。