順調に被験者が催眠状態になると
どのような精神状態になるのか。
催眠状態の意識状態を
意識変容状態とかトランス状態とかの言葉で表していますが、
被験者が催眠状態の意識の違いを
ハッキリと感じ取れるほどの違いはありません。
実際には、催眠への没入度が深くなればなるほど
違いを感じやすくなりますが、
催眠初体験や回数が浅い被験者が
深く没入する人は稀で、
多くの場合、中程度の没入度を経験することになります。
中程度の催眠状態でも違いはあるのですが、
その違いハッキリ感じ取れる被験者は多くないと思います。
催眠状態は、それほど自然な状態なのですが、
催眠体験を期待する被験者の中には
自分が作り上げた催眠状態の精神状態のイメージ
(意識が無くなる。恍惚感に包まれる。自分が無くなる等)
に捉われてしまう被験者もいます。
そのような作り上げたイメージを持つ被験者の中には、
「いつ、意識が無くなるのだろう。」
「いつ、劇的な意識の変容が起きるのだろうか。」
「いつ、特殊な意識の変容とはどんなものなのだろうか。」
と、余計なことに注目をしてしまうことで
催眠体験を自らが邪魔してしまう方がいます。
このことについては催眠誘導前に、
「催眠状態になっても意識は殆ど変わらず、
自分の意識が無くなることはありません。
ですから、催眠中の自分が話したこと、自分が体験したこと、
私の話したこと等、全てが催眠体験前の今と同じように分かります。」
と説明して理解、納得してもらっても
実際の誘導になると、
「いつ、意識が。。。。」となる人もいたりして
催眠体験が不十分になったり、
それでも催眠体験が出来た被験者の中にも、
催眠体験終了後に感想を聞くと、
被験者「いえ、私は催眠体験が出来ませんでした。」
誘導者「それはどのようなことから、そう思いましたか。」
被験者「はい、意識がハッキリとありましたから。」
誘導者「ん?ん?あれ?」
自分の名前が思い出せなくなる体験をした被験者でさえも
被験者「いえ、私は催眠を体験することが出来ていないと思います。」
誘導者「それはどのようなことからそう思うのですか。」
被験者「はい、意識がちゃんとありましたから。」
誘導者「え~と、今までの人生で
あなたは自分の名前を突然思い出せなくなったことはあるんですか。」
被験者「いえ、初めてです。変な感じです。
どうしてそうなったのか分かりません。」
誘導者「催眠体験をしたからではないですか。」
被験者「いいえ、意識がハッキリとありましたから
催眠は体験出来なかったと思います。」
というようなやり取りが行われることも少なくありません。
被験者に催眠終了後の説明で
催眠について得心してもらえると
また別のやっかいなことが発生することがあります。
多くの場合、実際に催眠を体験すると
「こんなに気持ち良くすっきりするものなんだ。」
「面白く楽しいもの。」といったように、
被験者が催眠の未体験時に持っていた
何らかの誤解や偏見が書き換えられ、
催眠への没入が深まっていくものなのですが。。。
被験者の中には、
意識が無くなりそうになることは
どうにでもして防ぐことが出来るけれども、
普段と全く同じ状態なのに誘導者への言葉に反応してしまっては、
誘導者に自分を好きに操られてしまうことを
防ぐことが出来ないという恐れや不安が
発生することがあります。
これについても
催眠誘導前に、催眠の反応についての
説明はさせてもらうのですが、
「いえ、意識が。。。」と同じことが起きることがあります。
抗うことの出来ない力への恐れや不安を感じていることを
打ち明けてもらえたり、こちらが見落とさなければ、
それが杞憂でしかないことを
説明することができるのですが、
打ち明けてもらなかったり見落としてしまったりすると
被験者の心の中で判断し、
施療を打ち切ってしまう被験者もいます。
これらの被験者の反応は、
私達が心の中で捉われていることが
如何に強烈なものなのかを表すエピソードかと思うのです。
それは(あれは)〇〇に違いない!
それは(あれは)そうでなくてはならない!
それは(あれは)そうであってはならない!
私達は、
目のレンズに映っているものを
必ずしもそのまま見ているわけではありません。
自分が信じるように、見たいように見てしまいます。
私達は、
感じていることを、
必ずしもそのまま感じているわけではなく
感じたいように感じることがあります。
私達は、
聞こえていることを、
必ずしもそのまま聞いているわけではありません。
私達は、自分が確信を持って記憶していることが
必ずしも正しい記憶とは限りません。
私達は、自分が想像することが
必ずしも真実ではありませんし、
預言者の如く未来を見通すことなど出来ないのです。
スッキリするために少しのヒントにでもなれば幸いです。
とても分かりやすく教えてくださり、
ありがとうございます。
”ところが、「自分はOK」のためには、自分を磨く必要がある(願望や欲求)と感じている場合は、主(あるじ)が願望や欲求に振り回されていることになります。”
ここ数日の私は、正にそうでした。
藤野先生のコメントを
読ませて頂けて
心が落ち着きました。
感謝。
自分磨きについて補足をさせてもらいます。
自分はOK=すでに自分なりの光量で自分の色で輝いている。(そのまんまの自分で良い。)
自分を磨くは、「OKの自分」をより輝かせることを求めることですから、「より喜び、より成長」の願望や欲求の範疇となります。
今の自分は普通の暮らしが出来ている(自分はOK)。けれども収入を倍にしたい(願望や欲求)。のように二つは別のものです。
収入が増えた分だけ自分や家族に、より貢献できますし、自分が所属している会社や、さらには社会に貢献したことになるので願望や欲求も善なるものです。
そして、収入が倍(願望や欲求)にならないからと言って、それまでの普通の暮らし(自分はOK)までもが崩れ落ちることはありません。
そして、あくまでも主(あるじ)は、「自分はOK」の自分であって、願望や欲望を求める自分をリード紐で、コントロールする関係と考えることが出来ます。
ところが、「自分はOK」のためには、自分を磨く必要がある(願望や欲求)と感じている場合は、主(あるじ)が願望や欲求に振り回されていることになります。
立派な自分。羨まれる自分。より優れた自分。誰かと同レベルの自分。誰かに認められる自分。誰かに求められる自分。誰かに受け入れられる自分。
「そうであってはじめて自分には価値がある。」
「そうであってこそ自分は安心できる。」等。
このようなことの原因は、「自分はOK」と「貢献の自分」の二つを分ける区切り線が見えにくくなっていることで、本来は別々のものを同じもののように感じてしまっている時に多く起きます。
これらの人が、区切り線を見えにくくしているものは何なんでしょうかねえ。
一例としては、「私を好きになってもらいたい。」「私は大切な存在だと分かるように扱ってもらいたい。」「あなたから褒めてもらいたい。」
と言ったような他者からの何かを求める強い気持ちが有る場合には、区切り線は見えなくなります。
ニヤニヤが止まらなかったとは…
うーんと…どうして?
どのような感じだったのかなぁ?
すっごく気になります。
なんか楽しいですね。
催眠とは誘導の”技術”によるもの
なのですね、
その技術は簡単ではないのですね。
凄いなぁ…
催眠レベルかぁ
不思議な世界ですね
凄く凄く気になります。
知りたいなぁ。
催眠による素晴らしく気持ち良い体験ですか…
そういえば、小林先生のカウンセリングを受けさせて頂いた何回目かに
凄く綺麗な光景を目を瞑った状態で
見たことがありました!
真っ白というか
それが輝いてみえて、凄く綺麗で
びっくりして
その後、気持ち良かったです。
あの頃の記憶が曖昧で何だったのか
良くわからないのですが。
今となると全てを思い出せないのが
もったいなくて、残念で、
あの時はいっぱいいっぱいだったから
仕方がないなと思いますが。
エリクソン先生の
”2月の男” お読みになられた事ありますか? 私はその本の世界に入り込んで
ひたすら自己対話していました。
小林先生と、エリクソン先生の本のお陰で
20年以上抱えていた
困った心の規則を書き換え始めれたのですよ。
本当に救われました。
”生きることを楽しむために、
まず現時点の自分を楽しむこと
持っているものを楽しみ、
持っていないものは
持っていないからこそ
近くに楽しめるものがある”
心に凄くスーッと入ってきました。
そうですよね、わかります。
”その次に自分磨きをする。現時点の自分を楽しめるのですから自分磨きは余分なことで、余分なことは余力(よりょく)となり、漢字を変えて与力となります。与力は与える力ですので他人の力となるで、すなわち個人や社会に貢献することになります
これは何も大きな貢献を意味するのではなく、誰かに「安心できる。」「楽しい。」と感じてもらえるだけで十分な貢献かと思います。そんな貢献が出来る人が多くなると、喜びや楽しみがさらに溢れる世界になるかと思うのです。”
少し難しいです。
わかるけれど
自分を磨くのは余分…うーん
今の私は、もっともっと磨かないと
また困ってしまうような恐怖を感じます。
深いなぁ…藤野先生の言葉。
もう少し時が過ぎたら
わかるようになれるかなぁ
なりたいです。
与えることが自分磨き???
藤野先生、笑顔って良いですよね。
大好きです、笑顔。
心、安心楽しい笑顔
心、優しいみんな仲良し
私には生きる理念がありました。
”共に歩み、共に豊かに”
介護士をしていた頃
笑顔になって欲しい人が沢山いました。
その人たちの心の苦しみを
全部取ってしまいたかった。
全然出来なかったけれど。
人は、暖かく愛しいです。
喜びや楽しみがさらに溢れる世界
最高に素敵。
ただ、私は誘導の技術を身に付けるために時間を費やしたのでクリア研究所のクライアントの方よりも自身の他者誘導による催眠体験の回数は少ないのです。
よって催眠による素晴らしく気持ち良い体験はしていますが、それがどれ位の催眠レベルでの体験なのか悲しいことに判断が出来ていないんですよね。
エイブラハムとエリクソンは、どちらも私の好きな方です。特にエリクソンは、多くの本を読ませて頂き驚きと感激をして、私はエリクソンのようになるんだと催眠誘導法と施療のやり方を真似ていましたが、難解すぎて挫折しました。ただ、その時に私なりに学んだエッセンスを施療に役立てています。
今回ご紹介頂いた言葉は、自分の思考が自分の現実を創ると言う意味ですよね。
生きることを楽しむために、私は、まず現時点の自分を楽しむことを忘れないように心がけています。持っているものを楽しみ、持っていないものは持っていないからこそ近くに楽しめるものがあると考えるように心がけています。
その次に自分磨きをする。現時点の自分を楽しめるのですから自分磨きは余分なことで、余分なことは余力(よりょく)となり、漢字を変えて与力となります。与力は与える力ですので他人の力となるで、すなわち個人や社会に貢献することになります。
これは何も大きな貢献を意味するのではなく、誰かに「安心できる。」「楽しい。」と感じてもらえるだけで十分な貢献かと思います。そんな貢献が出来る人が多くなると、喜びや楽しみがさらに溢れる世界になるかと思うのです。
小林先生は、その意味でも社会に貢献していると思うのです。
こんな世界があるんだ…
って驚きましたし、
感動しています。
小林先生にご縁出来た頃、
私は心身がズタボロで、自分の中は何が何だかもうわからなくて殆ど感覚だけで生きてた感じで、
だけど何故か小林先生と過ごしている時間は、
身体がすごく楽になれました。
不思議でした。
何が何だかわからないけれど
感覚で殆ど全部を
ぐちゃぐちゃだけれど見せて、
先生に頼っていたように思います。
あんなに酷い私を、先生は受け止めてくださいました。
なぜかわからないけれど、
引き込まれます。
心理療法や催眠療法の世界に。
ただ学びたくて頭から離れません。
学びたいと思って
学べる環境がある
その事を改めて感謝。
藤野先生の記事を拝見させて頂けて
学びたい事を学ばせて頂けてること
有難いです。ありがとうございます。
いつか藤野先生にお会いできたら
最高だなぁ。
って願いました。
小林先生にもお会いしたい。
エイブラハムの言葉、
「意図的に人生を創造していくことが
あなた方の本来の人生の楽しみ方だ」
それからネットの記事からコピーしましたが、
『 ミルトン・エリクソンは15世紀の医師バラケルススの次の名言をよく使っていたそうです。「人はみずからがこうあると思い描けば、そのようになるのである。人が今あるその姿は、みずからがそうあると思い描いたものなのである。」
』
もっともっと自分を磨いて
生きてきたことの
生きていることの
素晴らしさに、楽しさに、
感動したいです。
催眠の世界、体験したいなぁ…